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両親の入院保険申請手続きもその一環で、ここ近日は保険証の関係で親父の住まう有料老人ホームへの出入りの機会が多くあった。
昨夕も管理者との遣り取りもあって訪問し、その機に部屋の高倉健カレンダーを二月変わりでメクり、親父の顔色を見た。
誤嚥性肺炎の影響で微熱が続き、前の晩より酸素マスクが当てられていた。
それとは無関係に、これまでとの様子の違いを感じて手を取るといつもの様にヒンヤリとしている。手の指先を見ると紫色に変色していた。オデコに触れるとこちらは微熱を感じる体温である。
酸素の影響か、意識はいつもに比してしっかりとしており何かを話し掛けようとしてくるが、これまたいつもの如くに聞き取り難い。身振り手振りから、体温計で測ったばかりだとでも伝えたかったようだ。
室内で一時間ほどボンヤリした。ベットに横たわる姿を見て、親父もそう長くはないのだろうと思った。
また来るでなぁ、で手を振った私への反応も、いつもよりハッキリしている感じはした。
夜、講習に出掛けたはずの家内が予定時刻よりもかなり早く帰宅した。どうした?
どうやら親父の担当医である岩井氏より電話が入ったようで、近日食事の摂取量も落ち、飲み込む力も弱まった結果、誤嚥が起こりやすくなって肺炎を起こすという悪循環に入っていると。その結果、衰弱が始まっており、胃ろうに切り替えない限り余命一月だろうとの宣告だった。ヒトツキ!
この事体に備えて、親父の意志のはっきりしているタイミングで本人意志を取っておいた。厚生労働省の指導では家族意志ではなく本人意志の尊重を謳っている行があるようで、あくまで患者本人の思いを汲んで欲しい、と。
胃ろう(腹に穴を開けて栄養注入する方法)してでも延命措置を取るのか。
返答は「それは嫌や、自然がエエ」と。自然でエエ。
本人意思を汲んだその上で、家族意思のもと胃ろうを選択する順序も踏めるとはいう。
昨晩の電話は、その判断をするならば早急に動くべきだとの岩井医師からの提言だった。
母を亡くしてからの親父は、判り易いほどの変容だった。
逝去翌日には起き上がれなくなり、本葬当日には入院し、参列出来ない程の憔悴振りだった。
母と逢い、共に在った人生といえよう。
若月氏の話を書いたと思えばこんな話が降りてきたのも何かのご縁だろう。
姉との意思疎通を図った上で、今後を定めていくこととなる。
親戚連にも連絡した。父と不仲が続いて20年ほど音信不通だった叔父とも話した。お互い未練なきよう願います。
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