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私の従兄で、正確には母の兄の長男に当たる。
世ズレしていない、実に穏やかで柔和な人物である。
母のその兄は本屋(書店ではない)の跡継ぎで、今回お越しのその長男(既婚、同居)や次男(未婚、同居)には子供がいない。
過日、別の従姉筋で聞いた話として迂闊にも気付いたのだが、本屋跡継ぎ(の子)に子供がいない、というのは本屋筋山岡家が絶えることを意味するのだ、と。
山岡家の系図を作成している話は、母の四十九日法要時に隣りに座ったその叔父に聞いていた。つい二週ほど前に送られてきたその叔父作成家系図には、私から見て祖父母からその玄孫(やしゃご)に当たる五代分の氏名が列記してあり、その裾野の広がりに驚くべきものがあった。
その系図にはなかったものの、山岡家も別段名家でもないけれど随分な代を重ねる家柄だったようだ。
一〇年にもならないと思うが、ウチに二人目の子が出来て以降の話と記憶する。母から不意に相談事をされたことがあった。
「本屋のマーちゃん(母の兄)とこには世継ぎが居ない。どうやら長男の嫁さは子供の出来にくい体質らしい。ついてはあんたトコで三人目が出来たら欲しい、という話をマーちゃんからされたんやわ。」
その際の自分の反応がどうだったかすら記憶にないが、恐らく当世風にないそんな貰い子の話を真に受けられなかったのだと思う。
果たしてその後、我が家には第三子が出来た。
その際私の中で上記件が浮かばなかったし、母から言われることもなく忘れ去っていた。男子ではなかったことも作用したのだろうか。
今日、子守に連れた我が第三子と、もしかしたら養子縁組したかもしれない従兄の二人を前にして写真に収め、そんな件を思い出してあれこれ想像してみた。
この件には続きがあって、それはまた書きたい。
先日、山で死んだ息子の親と話す機会があり、その家は、知る人ぞ知る、武田家重臣二十四将の◯◯家の第三十五代の跡取りで、これを限りにお家断絶が、息子の死にもまして悲しいとのことでした。そんなツウな武将の名前普通の人は知りませんが、武田滅亡史に明るい僕だけは、えッ!あの◯◯家なんですか!と申し上げると、たいそう響いてくれました。
人生はかなかったこれまでの時代、跡取りが居るから安心して死ねたというもの。跡取りとは、結構、人の存在に関わるものかもしれませんよ。
でも、貰われる子供の気持ちは想像出来ないワ。
貰い子ではないけれど、戦略として養子縁組を強いられた武将の子が育って後に馳せる思いの深さ濃さ重さといったら想像を超えるものがありますね。嗚呼、普通でよかった。
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