アルプス縦走後の筋肉痛に明けた朝、『雑草のような命』を観てきた。
先週からロイヤル劇場で続く「浅丘ルリ子特集」の一環である。当のご本人は、岐阜の県庁所在地でこんな特集が組まれていることをご存知だろうか。是非に周知してあげて欲しいものである。もしかしたらそれで石坂浩二氏と共に来岐するかも知れないのだから。あ、別れてたか。
悲恋の物語である。
舞台は金沢、同じ高校に通う身でありながら方や親父が失職(!)し間借りする叔父からは追い立てを食う娘「待子」、方や何不自由なく生活し、犀川であろうホトリに住む東大受験間近の"昭和のミッチー(及川光博)"川地民夫「純一」青年。背景にモンブランらしきが浮かぶ。今現在、沢登りを愛好する鮎川氏が住む辺りであろう。
失職親父に西村晃、姉の吉行和子はもうちっと何かできただろうに。純一父に宇野重吉、叔父であるジャズも聴く殿山泰司の、性格といいそのナリといいが自分に見えて見えて仕様がなかった。遠縁の未亡人福崎サヨに清川虹子がハマり役だった。行員米井に対しては、娘を持つ身としては罪業深重にして大いに成敗されたし。
浅丘演ずる待子が「待っちゃん、マッチャン、macchan90」呼ばれる毎、他人事には思えなかった。
とある映画評に『この映画タイトルは「雑草のような命」で、雑草などはかない命であると言っているかのようだが、昭和天皇は「雑草という名前の草は無い」と発言し、和辻哲郎がヨーロッパへの船の上である生物学者から聞いた話として「ヨーロッパには雑草がない」とコメントしたそうで、この雑草という概念はどうやら日本人独特の概念のようで何とも日本人らしい』とあった。
その雑草に、自死を選んで欲しくはなかった。この時代を支配した空気なのか、将又原作者の単なる意向か。
そんな沈んだ気分を慰めに、高島屋階下へ。
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