年末からその内の第三回受賞作である藤原章夫著「絵葉書にされた少年」を読み始めた。が、年末のバタバタで中々読了出来ない中で、栃木石橋ブクオフで見つけた第六回受賞作で石川直樹著「最後の冒険家」に引き込まれて先にこちらを読了してしまった。これについてはまた書きたい。
一週間を越えた栃木滞在を経て、帰宅した岐阜で風邪を引いたことも手伝ってようやっと落ち着いて「絵葉書」を読了した。
藤原氏は私の山岳部先輩に当たるが九つ上で面識はない。ただ、日高山脈等の過去記録に登場することでそのお名前を記憶してはいた。また、yoneyama氏が自著の評文を緊張して御本人宛依頼した話を聞いて、唯の人物でないことは認識していた。
オムニバス形式ながら、後半に向けて読み進めるにつれ、意外や引き込まれた。
構成が難しい話が幾つもあるが、柔らかな表現でスンナリと読めてしまう。
「貧困、エイズ、差別、援助、搾取」とステレオタイプの語られ方がされがちなアフリカを、平易に心地よく"砕いてゆく"。
印象に残った件を幾つか列記したい。
●助けるということは無償のようでいて、実は助けられる側に暗に何らかの見返りを求めている。援助には目に見えない依存関係が隠れている。誰かがごく自然に「アフリカを救わなければ」と考えた途端に、その人はアフリカを完全に対等な相手とはみなさなくなる。友人同士のような関係は消え、極端なところ、支配と隷属に陥ってしまう。
●人はよく、人間を富める者、貧しい者、あるいは仕える者、仕えさせる者と、二つに分けて考えがちだが、マタディさんの話しぶりを聞いているとこんなことを思いついた。どんなことにも面白み、深みを見つけようとする人と、何事にも不平を言い募る人。人間はこの二つに分けられる、と。
●言葉を残すこと、記録することが歴史であるなら、あえて言葉を残さない歴史もあっていい。名のなく消えてゆく個人が何一つ言葉を発しなくても、残った者の心に言葉以上のものを残すからだ。
アフリカを志す人には必読の書といえるのではなかろうか。
あとがきの謝辞に挙がる浜名氏とは4年程前の晩秋、駒ヶ根にて一夜を共にしたが、泥酔名越氏の後始末をされるそのお姿に、それ程の御仁とはつゆ知らず誠に失礼仕りました。
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