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ここのところたて続けに読んでいる開高健ノンフィクション賞受賞作品のなかでも読書前から一番楽しみにして取り置いた一冊だった。
面白いに違いないことは重々承知していたが、やはり"読まされて"しまった。
私は解説の梯氏とは違って印象深いページの下を折る癖があるのだが、この本など折り目が随分と多くなってしまった。
所謂「建大」に関する書籍というのは暗い歴史も手伝って数少ないのだそうで、私などは漫画「虹色のトロツキー」や「龍-RON-(1-42巻)」で知った身である。
考えの根っこが一体何処にあるのか掴みかねているのだが、所謂「エリートのその後」物語に不思議と惹かれるところが私の心の内にある。同じ中学から岐阜高校に進学したあの可愛い子ちゃんや"よかにせ"は、その後如何様な道を辿って誰と出会い、今どんな人生を送っているのか。
ここでの建大進学者と言ったらエリート中のエリート、神童中の神童といっていい。藤森氏、百々氏、李氏にスミルノフ氏、個人的には宮野氏に関心が強かったか。
『変わっているが、芯がある』と当事者たちより評された三浦氏の取材力とその書き口上は、「南三陸日記」同様にツボを押さえたものだった。
文中にあったが三浦氏も、「インパラの朝」の中村安希氏同様にバックパッカーだった。
以下、特に強く印象に残った部分を引用。
●歴史を学ぶということは、悲しみについて学ぶことである【P.245】
●歴史がせり上がってくるには時間が必要なのだ【P.314】
●衝突を恐れるな、知ることは傷つくことだ。傷つくことは知ることだ【P.332】
姜氏に対する質問で、ドラマティックな人生に於いて最も記憶に残っている時代は?との質問に偽りなく「建国大学の頃だと思う」と回答するあたりがやはり白眉かと思う。「若いということはただそれだけで価値のあることなのだ」と、戦争や大統領を経験した人物に言われると説得力がある。
「地獄の使者」と呼称された辻政信に関する台北での李氏の述懐は、漫画で読んだ印象とは別の側面を見せてくれて興味を持った。こういった証言を丁寧に拾い上げていくことによってしか、正しい歴史と言うのは伝わらないのだろう。
「勇敢さと細心さを持ち合わせた人物だからこそ、危険に臨んでも自らを信じ抜くことができ、乱れぬ勇気を胸に秘めることができるのかもしれない。」
李氏の立身出世が日本と連動していたことも興味を引いた。サトウキビの搾りかすから製紙の起業だったか。
余談だが、私の人生に大きく作用した重要人物の名が完治であり政信であることが、石原莞爾であり辻政信であることとの相関をいつか探ってみたい。
本題に戻り、個人的には第11章のアルマトイの件が好きだ。
空港に迎えたスミルノフが、65年振りに再会した宮野氏に対して「ミヤノ! オオー、オオッー。ココロガウレシイ。」と読み手のこちらを落涙させておきながら「実をいうとね、私は宮野が一体誰なのか、本当は覚えてさえいなかったんだ。」に、カクッ!!!ときて大笑いした口なのだが、しかし
「でもね、空港で会ったときどうしてだろう、思わず涙があふれてきたんだ。」「私はその時心からそう思ったんだ。ああ、私だけじゃなかった。私と同じように生きてきた人間がこうしてほかにも存在していて、こうやって再び会いに来てくれたんだって――」には思わず涙があふれてきたんだ。
この手のスケールの話を聞くと、小山登りでワ〜キャ〜言っている自分が仕様も無く思えるが、まあそれはそれ、これはこれということで。
ホント、間に合ってよかった。
実に「心が嬉しい」物語だった。七帝柔道記並みに、とここでは言っておこう。
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