この本は我が家のトイレに置いてあったものだが、つまりは家内により「アンタ、コレ読みなはれ」と意図的に配されていたものだ。
未だ13歳である不登校息子のストレス原因、度合「父、9」!発言に報いるべく、拝読した。
耳の痛い箇所多く折り目だらけになったけれど、現代社会で子を持つ親にとっては誰しも耳痛い本なのではなかろうか。
感想をここに書かないけれど、印象に残った点を列記したい。体感を通し連動させて思索を深めていこうとするそのタツル過程が気持ちいい。
P. 54 コミュニケーションの理解について。
P.107「人間は理解できたことに基づいて生きているわけではなく、実は理解できないことを中心に生きているんだと思うんです。」
P.135「教養主義のいい所は、何を知っているかじゃなくて何を知らないかがわかることだと思うんですよね。」
P.137「一番面白い対話って、二人とも知っている話をもとにして、二人とも知らないことについて推論するという時ですよね。」
P.142「本来、イマジネーションだって身体と背中合わせの所にあるわけです。」
P.176「個の身体性を共同体の中に拡大していくには儀礼か祝祭か何かそういったものが媒介するしか手段がないですから」
P.186「子供って結局、叱られたときに親の言葉なんて聞いてやしないんですよ」!!
後に知ったことだが、内田氏は村上春樹の権威でもあるようで「村上春樹にご用心」も書いている。今夕、手に入ったので今読んでいる。
もちろん、あからさまな結論があるわけではない。
ためになる御本を読んで、直ぐ生活に反映させられたらそりゃ素晴らしいけれど、まずは心に留め置きたい。
こんにちは。
老婆心ながら、
本やNETのメディア情報であれやこれやと気を揉むのもひとつの手段でしょうが、ここはひとつ一緒に山へ登る手立てを考えられてはどうでしょうか。ことばなんかは全然、意味を持たないと気づくはずです。自分のこどもなのだから。
岐阜には恰好の山がくさるほどあります。
マースケ様
ことばなんかは全然、意味を持たないはずで、自分のこどもだけに山に連れ行きたい思いはあるのですが、中々山に帯同するに至らない悲しき現状があります。「岐阜には恰好の山がくさるほどあります。」と、能郷白山で出会った品川人に申した記憶が私にもあります。行きたいものです。
こんばんは(*^-^*)
内田さんで「おお、そうそう」とストンと落ちた本があったなと、ごそごそ探していたらありました。
「身体知―カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる」
三砂ちずるさんとの対談です。
「山に登る」=「体を使う」意味がわかる内容だったような・・・
男の子って父親が説教しても「ふぁんふぁんUFO」が頭の中を飛びまわるので、
一言も聞いていないハズです(^_-)-☆(西原理恵子・毎日かあさんより)
毎日かあさん様
内田樹御存じで、そう来ましたかぁ。「腑に落ちる」は、内田本の定型だったと記憶します。それだからこそ、山に登る他無し。
スミマセン、黒岩平行けず仕舞でした。
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