表紙写真のオシム氏は、勤めていた会社のハッチーそっくりさんである。
読んでいて、以前同種の引き込まれ方をしたサッカー関連本である「社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年」を思い出していたら、やはりというか何というか同じ著者であった。
その名は木村元彦(ゆきひこ)氏。1962年愛知の産。
東欧の民族問題に関する著書もおありで、そのベース抜きにこの本は産まれ得なかったであろう。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史は極めて複雑に入り組んでいる。オシム氏もまたその歴史に大いに揉み込まれている。
関係ないことだが、溝畑氏もハッチーも共にアスペルガーと思われる。天才肌にして、一部が強烈に抜け落ちている。
近年のFC岐阜俄かファンとしては、イビチャ・オシム監督(同書内ではイビツァ読み)については一般人程度の知識しかなく、日本代表監督になった際に岐阜からその名と一致する「揖斐茶」が贈られた位にしか存じ上げなかった。
サラエヴォ出身、と言えばエミール・クストリッツァ監督だが、こちらは映画の監督でありオシム氏の一世代後である。P.177に登場する「ライフイズミラクル」は未見。
この本については村上龍先生が選考に於いて賛辞を寄せているので私がその内容の良さ読み応えを今更宣伝することはしないが、この場では個人的に「FC岐阜」を起点に話してみたい。
文庫本P.35に現れる服部とは服部ブンショウ、ではなく2012−13にFC岐阜に所属しキャプテンだった服部年宏である。
第10章で大枠登場の川口能活についてはFC岐阜【2014−15】の切り口で語るに足らない大選手だが、川口は日本代表時にオシム氏の薫陶を受けたそうである。随分多くを学んでいるようで、それにしてもその「後ろから繋ぐサッカー」は岐阜で実践されていたっけ? ラモス監督の采配では昨日、いや機能しなかった? それにしても僅かでもそのイビチャイズムが当時の岐阜サッカーに流れていたのだと思うと今にして心温かくなる。
そして一昨日、松本山雅相手にその「後ろから繋ぐサッカー」を古橋が気持ちいいまでに打破して2-0で勝利した?! ホームでの勝利、何か月振りだろうか。
第7章登場の間瀬秀一氏、今や愛媛FCの監督やん。
P.161「恨み骨髄(に徹す)」不勉強にして知らない慣用句だった。
P.283 大阪市立大学卒の橋本英郎(現東京ヴェルディ)を「水を運ぶ選手」と評する表現は、実にいい。
「オシム語録」が有るだけあって、理系らしい含蓄のある言葉を受け取れた。
オシム氏の急性脳梗塞による日本代表監督退任と帰国とを惜しむ。
惜しむさん、いやオシムさん、また魚食べに来日下さい。
オシム氏の薫陶を受けた阿部勇樹は、果たして監督を目指すのだろうか?
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