しかして、唐沢岳から帰った途端に風邪を引いた。
疲れが抜けないからであろう、未だ治らない。行ってこられたからモンク、いや文句もない。
伏せた床で、yoneyama氏宅から頂いてきた坂本直行著「開墾の記」を読んだ。
昭和18(1943)年7月発行、75年前の古書である。
何の偶然か、山行前に久方振りに書架から「雪原の足あと」を持ち出してきて広尾又吉の件を読んだばかりだったので縁を感じた。
「体」→「體」等々の旧字体の上に「そうしましょう」→「そうしませう」等々の発音で、ただでさえ読むのの遅い私にしては意外にスラスラと読んだ。
単行本サイズだが、紙質が軽いために確定申告立待ち立読みも寝読みも苦にならなかった。が、綴じと歴史の関係から時折パラパラと落ちてくるものあり。
子沢山の上に酪農炭焼その上自宅畜舎も自作にて、天候気象災害にも翻弄されて苦労の連続、乾いた布団で読むのが悪く思えるほどのその内容だった。
帝大出にして開拓民として零から身を起こし、それを画文として記録し残した点が氏を単なる一農民に置いてはおかなかった。
特に印象に残ったのは第5章の年末に大雪に見舞われる件である。いやはや、その壮絶さに思わずムクリと起き上がってしまった。他に、馬の流産、手塩に育てた牛馬が続けざまに死んでしまう件、また馬の屁が凍る程の寒さや鶏を襲った鼬を極刑に処する件など、読み所実に多い本である。一農民としての提言、問題提起も忘れない。
実はこの本はそもそもペテガリ岳厳冬期初登者の一人で今村昌平いや故・今村昌耕氏からのものなのだが、坂本氏は第一回、第二回のそのペテガリ岳遠征隊の一員として加わってもいる。第二回時の昭和15年(1940)の同遠征隊がコイカク沢にて遭難し、直行氏も救助活動に当たるが8人もの仲間が死亡してしばらく仕事も手につかぬほど落胆したとのことだ。
時系列から「開墾の記」のP.308「私はこれ以上書き続けることが出来なくなった」とこれが符合するものと思われる。第6章はそれ程に短い。
坂本直行氏と言えば北海道銘菓の六花亭のパッケージが浮かぶであろうしまた、坂本竜馬の血縁者としても知られている。記憶に間違いがなければ、あの竜馬好きの金八先生、もとい武田鉄矢が「なんでも鑑定団」に掛けたのが坂本直行氏の描いた晩秋の日高山脈の大判油彩画だったはずだ。
20年前に日高山脈の沢に頻繁に通っていた際に、中札内にあった坂本直行記念館を訪れて、その絵に意外に感心した覚えがある。「生れ出づる悩み」の木田金次郎位に。
同封あった次男隆(嵩)氏の書いた「開拓一家と動物たち」も併読しているが、開拓地の間取りの記載があって参考にはなった。
なお、「カイコン」と打つと「悔恨」と出てきて今の時代はそうなのか?
同じようにそう感じた、あの星野道夫も読んだという(「旅をする木」【坂本直行さんのこと】)。
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