昨秋より山らしい山にも殆ど登らず越年し、ソレに備える体力も無いままいきなり生じた長い休みに乗じて迎えた四日冬山山行で力を尽くして身体の中身がスッカラカンになってしまった。一年振りの冬山で思いの外身体は動いた。動けてしまうだけマシなのか。
昨年も同じような日数の同じような山行をしたものだったがこんなにも酷い状態には陥らなかった。むしろ去年の方が身体は動かなかった。そこそこの準備山行は行っていたのでその違いもあろうがいや、明らかに別年齢のステージに上がってしまった体感がある。いや、下がった?
体感の寒さもそれを表していたのだと思う。痛風由来の冷えと言ってしまえばそれまでだが、備える体力があればあそこまで寒さに震えることもなかったのではと今思う。
加えて、両親も見送った上に就職に関する悩みが払拭できず、有難いことにやりたいことも随分とさせてもらえたこれまでを思い、家族のことは棚上げして本山行で静かに死んでしまってもイイかな、何て考えも行きのドライブ時に浮かんだものだった。また山行中は切れ落ちた尾根両岸を見下ろして自分を何度か見定めようとした。そのくせ石楠花だのダケカンバの細い細い枝を引っ掴み、ガムシャラにバリズボラッセル繰り返して山頂目指していたんだからやはり死にたくはない思いが優ったのだろう。
今風の「老いを楽しむ」ような心境にはついぞ到達できなかった。
そんな自分にイライラして、ついつい家族に強く当たってしまう。
またこれは別の話だが、30になって北海道から本州にも戻ってきた際に『(死ぬまでに)登るべきルート』として沢、雪のラインをズラズラと挙げ連ねたノートがあるのだが、伏せていた床で久し振りにそのノートのそのページを繰り今回の唐沢岳北東尾根に日付を書き線を引くと、概ね満たされていることに自身、気付いた。
その山行中、同行のyoneyamaさんと火を囲み飲んで話した際「山ももう、いい加減満足したかな。わざわざ遠くにまで出掛けて百名山潰しとか興味ねぇしよ。」という氏の発言があって、年相応にそんな風に思うのかね、と思ったものだったが何のことはない、私自身も同様に思っているフシはある。
10年10月も北海道に居て、利尻も礼文も(羅臼も)斜里も阿寒も登っていない。
つい先程書店にて、改訂なった2019年版「山と高原地図 利尻・羅臼 知床・斜里・阿寒・礼文」を買ったばかりなのだが、また体質のステージが替わったら車仕立てて登りに行くのだろうか、私は。
何故山に登るのか。
今、辻まことの「画文集 山の声」を読んでいる。
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