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並行して読んでいる高橋源一郎著「ぼくらの民主主義なんだぜ」といい、村上春樹著「神の子どもたちはみな踊る」といい、偶然にして3・11(と阪神淡路大震災)関連の書であるのは何故だろう。
そんな書架の整理の際に出てきた「山の本」第2巻(1992年10月発行)を手に取った。
これは白山書房の同人誌の様な文芸誌で「本の雑誌」にも似た造本(共に表紙には沢野ひとし氏のイラストあり)、調べると最新刊は108号(2019/6/15)とある。
拙宅に似つかわしくないこのような本が何故あるのかといえば、縁あっての事である。
私が投稿しているのではない。知り合いの投稿文があるからである。
ただ、直接は知らない。
読物「50坪の専業農家」がそれに当たり、筆者は望月玉代氏である。
文中にも登場するそのご次女●代氏と、1995年秋にチベットの入口の街で出会ったのが接点である。
出会いよりも先に出版されたこの本は、帰国してから札幌にある山書を置く古書店で入手したと記憶する。
酸素薄いその旅先で●代氏から、父親がかなり突っ込んだ登山をしていたが遭難死した話や、幼少時に岐阜で過ごした話を聞いた。この二つの共通項から親近感を持ったものだった。
以前に調べたところ、剣岳の東大谷で初登攀記録をお持ちだったと記憶する。また今し方改めて調べたところ、処分したのか掲載雑誌は見つからず仕舞いだった。
その「50坪の専業農家」を久方振りに再読して知ったのだが、1980年にご主人忠氏が39歳で亡くなったのが唐沢岳幕岩とあって、ハッとした。この春に眺めたばかりの場所だったから。39年前の、あのような場所で、、、。
今の時代、検索するとその筆者も写真で現れる。に、似ていらっしゃる。(その隣に丸山珠代氏が現れるあたり、グーグル先生も未だ未だである。)芝川町にあるその農園は、二週前に訪れた富士吉田市から遠くない場所にある。
●代氏は私の一つ歳下だったので今現在、母玉代氏がこの作文をものした歳と同年ということになる。風の噂で児を成して九州に暮らすと聞いたが、彼女もきっと元気に暮らしていることだろう。いつの日にか、再会できるものと思っている。そう思うと、人生捨てたものでもない。
望月は餅搗に通づるという。
結果、今日も書架の整理は捗らなかった。死ぬまで片付かないのかもね。
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