当時居た函館のアパートの隣の田村という関西出身の後輩だったと記憶するが、親族を亡くしたはずだ。その田村は、前年夏に交通事故を起こしてクラスメイトを亡くしてしまうアクシデントにも見舞われて、彼にとっての25という年はトンデモナイ一年だったことだらう。
今し方、家内は一泊の予定で東京へ出掛けて行った。
その宿泊先が何の偶然か、私が大学入学時の31年前に同じクラスメイトだった恒吉さんという女性宅で、家内にとっては水泳部の先輩に当たる。
恒吉さんと会話したことは無かったと思うが、それにしても只ならぬ縁に思える。
確か私と同じく現役合格だったはずで、となれば来年50歳を迎えるはずである。
女性の迎える50という年齢が、男にとっての50と受け止め具合が違うように思うのは私だけだろうか。
昨年末の上京時に、25年前の海外旅行時にチベットで会った方と久方振りの再会の機会が持てそうだったが、連絡の不備で残念ながら実現しなかった。
私の結婚直前に会ったのが最後と記憶するので15年の間になるが、それでも会っていたら随分なお変わり様に戸惑いがあったに違いない。それ以前に私の頭髪の様変わりにビックら戸惑われただらう。
昨日、土産を渡しに伺った親方も来週25日に79になるという。来年の傘寿には何かお祝いを考えたい。
15、25、50、言わずもがなの80と、今にして大きく感じる数字である。
20年前に貰った高田渡のレコードを聴きながら、そんなことを思った土曜の朝だった。山之口獏作詞の「生活の柄」は何度聴いてもイイ。吉野弘の「夕焼け」も演っている。
私もあと三ヶ月で50を迎える。
50を過ぎたら、貯め込むでなく、差し出す生活に転換したい。
【追記】帰宅した家内から聞いたところに依れば、恒吉氏が学部移行後一番親しく付き合いのあった事務職員(♀)は何と!その後私が一番世話になって家内も知るHMD先輩の伴侶とのこと。世の中何と狭いことか。
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