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小林氏の初めての雪山登山が長塀尾根からの蝶ヶ岳と言い、そこからみた穂高の朝焼けが素晴らしかったと仰る。私も同地でソレを見たばかりなので親近感を寄せて聴いた。
二週前は、鍋冠岳目指してラッセルに奮闘していたはずの今頃である。
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今回の六日間に渡る冬山行は、色々なことを考えさせてくれた。
まずは、今在る生活の有難さを。
あのような環境下から帰ってくると、日常生活が如何に快適でよく出来上がっているかを思う。スイッチポンで火が点いて湯が沸き、美味しい茶が飲めたりカレーが作れたり、ましてや蛇口を捻れば衛生的な水が出て喉を鳴らして飲むことのできる当り前さ。
濡れた衣類を乾かすことのできる暖房(薪ストーブ)や、熱い湯船に浸かれる幸せ、乾いた靴下に湯たんぽに、干したての乾いた布団での就寝、酒を湯割りや氷を入れて呑む贅沢さ、を。ましてやレコードを聴きながら。
また、下界を離れて山の世界に浸かる幸福も感じた。日帰りでもなく一泊二日山行でもなく、一日以上の下界から離脱した数日を持てる三日以上の山行は、山登りの最も「らしさ」を感じられる形態に思った。充実感が未だ持続して、心が温かなままだ。ただ、私が「雪山とのお付き合い」に向いているかは甚だ疑問の残るところで、どちらかと言えばフットワークの軽い沢登りが歩行距離の捗りもあってやはり好む所である。
とはいえ三年続けた厳冬期山行だ、来年は何処へ出掛けようか今から考えている。
ゴミ出しに出掛けようとすると電話が鳴った。山の先輩である片岡氏からであった。今しも氏の別荘地で火を焚いているそうで、私の大学山岳部先輩の名越さんも隣におみえという。
片岡さんは今でこそリタイアされたがかつてはあの和田城志氏の薫陶を受けて剱沢の初遡行をされ、海外登山の経験も豊富な御方である。
名越さんもダウラギリ遠征に参加されたり、4階から酔って落ちたりと私など及ばぬ経験をお持ちの先輩である。
遠征では雪上生活が続き、その耐性が無いことには成り立たないわけであるが、ヒマラヤ経験のない私にもし参加の機会があったら(一度だけ話があった)どうだったろうかと想像してみたが、、、、だから私は台湾に行った。
ゴミ出しに出ると隣の隣の又隣のオジサンが、散歩の最中であった。脳梗塞で些かの困難をきたす歩行になったようで「ワシも年取ったで。」と、私と同年の息子を持っていたオジサンがクシャクシャと笑った。名越っさんも、片岡さんも、私も歳食った。
今日は出勤の話もあったのだが、実は岳父が入院したのが先週の話で家内が栃木に火曜まで逗留予定で私が留守役として居る。娘を送ったら、コーヒー豆とテムレスと柿渋を買いに出て、カレーでも作ろうと思っている。
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