いつものロイヤル劇場で水谷八重子が出るという「踊りたい夜」でも観るかと時間調節して車内で新聞を読んでいる際に今日が一日であることにハッと気づいた、今日は正規料金の映画がお値打ちに観られる日ではないかよ。
で、急遽行き先を変えて正木のマーサへ。かつやのタレカツ×カレーで腹ごしらえしてから、話題に上っている「パラサイト」を観よう、と。しかしここには映画館は果たして無かった! 当い掛けた案内嬢に白けた顔をされてしまったよ。
余り足を向けたがらない各務原イオンへ。昨日のコーヒー大人気店のアダチの閑古鳥の泣きっぷりにも驚いたものだったがここ勝ち組イオンですらこの人出の少なさよ。ガラガラのガランガランで、パラサイトも私一人!かと思いきや、上映時間直前になって三組のカップルが滑り込みで入館してきた。
さて噂高い「パラサイト 半地下の家族」だったが、以前観た「Joker」と同じく格差社会を扱った作品で、同じくエグミの強さを感じさせる映画だった。ブラック・コメディというジャンル分けは果たして適当なのだろうか? いや、甚だ怪しいと言えよう。
「Joker」を観た際にも同様に思い起こしたのは、21年前の1999年春に札幌で二日だけ蠍座で上映された浅野忠信主演「Focus(1996)」だった。展開の渦巻、と言うか展開の勢いと言おうか。
ソン・ガンホを劇場で観るのは初めてのことかもしれない、DVDでは確か一作観た覚えがあるがそれも随分と昔の話になる。
娘役のパク・ソダムは、私のイメージする韓国人女性そのものの顔立ちで印象に残った。対する美人奥様役のチョ・ヨジョンは、韓国人らしさを感じさせない方だった。社長役のパク氏はレオン・ライに似ていた(マギー・チャンとの「ラヴソング」は良質の香港恋愛映画だった)。
映画を観た後には、この映画のレッスン(教訓)は? となるのだが、ここ近年の映画にはその手のレッスンが用意されていないことが多い気がする。雨の帰途ドライブ中にも、煙草をのみながらのボンヤリした頭にはその手の教訓は浮かばなかった。エイプリルフールに観た、ということには意味があった気がした。
今日四月一日から改正健康増進法の全面施行で受動喫煙対策が始まり、原則屋内禁煙が業者側に義務付けされた。先日、中国料理の名店・珍萬に行って知った。こちらはエイプリルフールのジョークではなかったかよ。
劇中、大雨で半地下の住居が浸水し、物取りに戻ったギジョンが汚水噴き出す便座に腰掛けて、天井上に置いた煙草を取り出して一服するシーンが、今日という日も手伝って心に残った。
角幡氏の「漂流」が、文庫化されてもいた。「文庫本のためのあとがき」を読んで帰途に就いた。
帰宅してこれを書き、ラックから引いたCDは何故かジョー・ヘンの「INNER URGE」だった。「内情」、「内なる衝動」。
【追記】教訓の無い映画と書いたが、今日の作業中にこの映画の事を頭の中でグルグルと回して廻して思ったことがある。
「パラサイト」つまり寄生生物というならば、宿主に実害を与えず共生するのが寄生側にとっての利となるはずである。その伝で言えば、パク一家がキャンプに出た後に家族で羽目を外したことが綻びのキッカケを作り、タイミングを知って訪問した前家政婦を家に入れてしまい、地下室の「忘れ物」の旦那を匿い続けて欲しいという懇願(寄生生物への寄生)を袖にするような態度を取ったのが共生を取り崩した致命傷でなかったか(その直後に父息子娘が階段から転げてこれまでの悪企みが露見し、動画を撮られて脅される)。
寄生が失敗に終わった点で、この話は生物としての「ヒト」の愚かしさを表している。
それにしてもこの家族が計画を遂行し、隠蔽してまで守ろうとした先に望んだものは一体何だったのか。それが食べ物であり酒でありWi-Fi環境だったりするのだとしたら、これでは如何にも低俗な話である(家族の連帯?それは感じられなかった)。20世紀の映画ですら、もうちっと文化度の高い夢のあるものを求めていたものだ。これが21世紀だというならば、お寒いことで。
共生の物語を描けなかったとは思いたくはない。その可能性についても考えたいところである。(2020.4.3)
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