CDはジョニー・グリフィンと南博のもの。
本は藤原章生氏のモノと、ふとしたきっかけで目に入り、偶然にもその日が発売日になっていた8章の短編からなる村上春樹氏の「一人称単数」という本だった。
私が新刊本を買うなんてまず無いことなのだが、中にチャーリー・パーカーの一章があることを知り、こんな機会でもあるし家内も読むだろうさり気なく渡したら喜ぶだらうと思って注文したのだった(7/18土曜)。
書架を見るにこれまで中沢新一だのヴィトゲンシュタインだのシュタイナーだの「神話の力」だの「一万年の旅路」だのと妙で難解な本ばかりを読んできた家内は、私と結婚する2004年32の歳まで村上春樹を知らない、読んだことが無い珍しい部類の人物だったのだが、偶々手にした村上本を手掛かりに読み進めていったようで、今ではすっかりと愛読者の一人になったようだ。
さりとて先だって新刊として出版された「猫を棄てる 父親について語るとき」も「村上T 僕の愛したTシャツたち」も買わないところを見るにこの「一人称単数」も買うはずはないと思って私が注文したところ、私の注文本が届くその日曜、午前に書店で目に入った(し、題名が気に入った)ので買ってきたという。嗚呼、このダブリ、選りによって何たる偶然か。握手の手を差し伸べられたのに素直に喜べなかったのが私の私たる所以なのであるが、黒猫のニイサンに「受け取り拒否」が通用したので事なきを得た。御免ね。
今日午後、前から三章までを読んだ。クリーム?
目的のチャリパカ物(「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」)は、この天才アルトサックス奏者に対する村上氏の個人的な想いを熱く表明した文章といえばヨロシイか。チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏するというのは夭折のトランぺッター/クリフォード・ブラウンに「I remenber Clifford」を演奏させるのと同義の諧謔である。
選曲はまだしも人員の配置がいい。ドラムズがロイ・ヘインズで、ギターがジミー・レイニー!(パーカーにギター入りの演奏盤は多くない、いやむしろ少ない。スタン・ゲッツグループからの抜擢であろう) ジョビンが外れた際のピアノにハンク・ジョーンズを指名しているのがまた何とも。アル・ヘイグでもなく、パウエルでもビショップJrでもなく。選曲では私の好きな「Desafinado」は外されている。1959年発表のボサ曲だからB面ラストに入れてくれてもイイよね。
ここのところは寝しなに「ねじまき鳥クロニクル」の文庫本を読んでおり、昨晩三冊目に入ったところ。昨夏にしても読めなかったので。また、井戸に潜ってるよ、この人は。
確かに。程全ての作品で暗闇、トンネル、井戸が出てきますね。私は井戸はイド、フロイトのいうところのイドにかけているのではないかと思います。
こんにちは。フロイトの言うところの井戸というのは、通過(儀礼)としての井戸なのか、それとも自己洞察と思索とを突き詰めるための存在でしょうか。
村上氏が実際に潜った経験がおありなのか知りたいところで、果たして経験ないのにあそこまで書けるのか、大いに興味のあるところです。
私のような凡人は経験の範囲でしか語れませんが小説家は経験はおろか見たこともない風景をかけるのだそうです。村上春樹もノモンハンを舞台に書きましたが、実際に行ったのはその後だそうです。小説家と言うのは信じられな量の本を読んでいるのでそれが可能なのでしょうか。
山野井泰史氏は、これから挑む登山に対して詳細なイメージをしたとの行を読んだことがありますが、沢木耕太郎氏いや、村上春樹氏も経験以上の想像力を発揮したものと読むべきなんでしょうね。
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