![]() |
![]() |
これは、海外遡行同人総会で会った東京農大探検部のK君が創部50周年誌を送付呉れた返礼に渡したのを思い出せた。
で、昨日今日と整形外科のリハビリ通院の際にその報告書を携行して読み直しているところ。
些か前振りが長くなってシマッタ! 何せこの暑い最中、冷房かけない自宅で読書は不能ということで、頭の中も廻りクドイ。
京大、早稲田と並び?、大学探検部の名門・東京農業大学探検部が発行する会報が「フロンティア」と言うそうで、1961年創部の同会が創部50周年を記念して発刊したのが「フロンティア特別号 創部50周年1961-2010」というもの。頂戴した際に読んだものだったが、これを機に再読した次第。
再読するとまた見えてくるものがあって、色々と考えたことがある。
ママゴトの様な活動をして大学探検部を名乗るクラブもあるのに比して、東京農大探検部の活動は実に本格派である。
厳冬期冬山や沢登りを含んだ登山活動に、離島でのサバイバル活動、洞窟調査に民俗調査、川下りとある中でこの部ならではの活動といえば農業学術調査だろう。これにはかの新谷暁生氏も参加されていたと記憶する。
私が属した頃、1990年代初頭の大学探検部ではボートによる川下りが大きな一つの流派を成しており、私の先輩方も実際そういった計画を立てていたし、農大も本報告書でメコン川全流航行、長江源流航行調査、ガンジス河全流航下(これは如何にも学生らしい素晴らしい記録だ)といった記録を載せている。
沢登りで注目すべきは、1987年という早い段階で「台湾濁水域溯渓」を実践していること(ここには詳細はないが確か源頭まで詰めていたと記憶する)と、実現はしなかったものの2000年・2002年と計画した北東インドの4000m級山岳での遡行計画である。国内での沢登りの記録も学生のモノとしては難しい沢が選ばれている。
ここでは「メコン川全流航行」について書きたい。
本活動は、OBを主体としているにしても並の活動とはスケールが違う。下降する瀬のクラスも吉野川の比でない極レベル(クラス6)とある。スケールがある上に、難度も備えている。
標高5632mの源頭最高峰から最南部「関累」に至る全行程の中国国内までを五度に分けた11年に渡る活動の中心人物は、北村昌之氏という私とほぼ同年同期と云ってもいい年齢の方である。
また、第二期で氏の下に副隊長として就いて活躍した青木亮輔氏というのは「東京チェーンソーズ」という林業事業体を率いるあの若者だったか! 最近はその手の情報を追いかけていないので不明だが、知恵を働かせて林業界で先見性のある活動をされていたと記憶するが、農大探検部OBでこの手の活動家だったとすると、合点もゆく。
またまた、東海大学探検部OBとして参加したカメラマン亀田正人氏というのは近年、服部文祥氏のサバイバル山行に同道して写真を提供しているあの方である、合点。
私が北大探検部に入った指向はそもそもカヌーによる川下りにあったけれど、こういった国際河川級の大河を下ろうという大それた野望は無かっただけに羨ましく感じる資格もないのだが、造園業に従事して36の歳まで全流初降下を目指して一連の活動を続けてきた北村氏の信念は素晴らしいものに思う。近年、この手のフツーではない人間は希少種だろう。
テレビは35℃チョイ越えで猛暑だの熱中症に注意せよだのマスクせよだのとヤカマシイけれど、今年は言う程にそうは暑くない。一昨日の夜には秋の虫の音を聴いたし今日は既に立秋である。コロナ同様、世間はちょっと騒ぎ過ぎに思う(単に騒ぎたいのか?)。虫の方が余程判っていらっしゃる。
今し方、雷付きの通り雨があって、随分と涼しくなった。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する