|
|
|
何で知ったか忘れたけれど、ちょっとしたキッカケだった。東京竹橋の国立日本近代美術館の工芸館が、金沢に移転オープンしたことを知ったのは。先月10/25のことだそうで、「国立工芸館」と言うげな。地方創世施策の一環、などと大きく構えずにこうした小規模でもいい文化施設の移転は一極集中の流れに対して良い効果を生むことと大いに歓迎したい。
昨年末、大西君へのインタビューで上京した際には、お茶の水から歩いて国立日本近代美術館を訪問することも忘れなかったが、あの時確かに工芸館が休館していたのを確認している。今回の段取りだったか。工芸と言えば以前下山して訪問した高岡市美術館の工芸品群にも大いにタマゲタが、工芸館を置くならばやはりここは金沢だらう。
金沢へは二度目の訪問である。10年程前だったか、沢登りの先輩である鮎川夫妻の御宅に二人の子連れでお世話になったことがある。その際には氏の大学山岳部後輩に当たり、称名滝四段目を佐藤裕介氏と初登した松本氏も呼んで下さって一緒に呑んだのも今や懐かしい。その機会に金沢21世紀美術館にも立ち寄ったと記憶するも、その時の記憶が余りないのは現代美術への私の関心の低さ故だろう。
5時に自宅を発った。明日が新月とあって下弦の月が地平線近くに細く赤く浮かび、そのずっと上に輝くのは水星だったか。今日も混むであろう白川郷まで下道を走り、そこから高速道に福光まで乗ったのは夏の井波行と同様に、今回は東へ。県道27号を行けというのは調べた段でのグーグル先生の仰せである。コンビニでの朝食に時間を吸われたものの、9時前には能楽堂前の第一駐車場に到着できた。兼六園そばの、街中の駐車場というのに私のみ。
雲一つない青空の下、澄んだ空気に今が盛りの街路樹の紅葉が映える。欅やカエデ類も多く、黄葉ばかりの仕事場の山とは流石に違う。9時半前には間隔を空けた列ができ、昨日オンライン予約を入れておいたのでスムーズに入館できた。新設の施設とあって、何から何までピカピカである。なお、今回の移転に際して学芸員や館長も江戸から越してきたとか。名誉館長の中田英寿氏は?
まぁ、溜息の出るような工芸品の羅列である。陶磁、漆工、染織とある中で、個人的には金工に強い興味関心があったので思わず見入ってしまう品が幾つもあった。
階上には人間国宝で金沢生まれの蒔絵師・松田権六が作品を制作していた東京の仕事場が再現してあり、その4畳半ほどの小部屋で数々の名品が生まれたことを思うと、美濃和紙等のの現場もそうだったが職人の世界というのは実に質素で呆気ないものである(後に人間国宝となった名塩和紙の某氏の現場もそうだった)。隣りの薄暗い小部屋では、文化庁が作成した権六氏の作品製作工程の古い記録ビデオが流されていたが、この30分弱の映像を身じろぎもせず立ち尽くして食い入るように見続けるのが今回訪問した客層の多くである。午後に通りかかった「金沢21世紀美術館」に、果たしてそういった熱心な美術観賞愛好家が居たかどうかは、、、、、どうだろう。
楽しみにしたミュージアムショップは、、、、ちょっと。
折角の機会だったので、隣の県立美術館にも立ち寄った。常設展のみの観賞だったが、流石に地元の鴨居玲の作品が一枚だけあった。登場人物数の大中小あるなかの、中の「蜘蛛の糸」がやはり目玉だった。camoyは私にとって特別な存在である。
グッタリと疲れた。ので、これまた楽しみに取っておいた「もっきりや」へコーヒー飲みに移動した。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する