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で、午前九時からBSで「写真家 白川義員と世界百名山」を観た。十何年前かに放映された番組が昨年十一月に放映されたそうで、ソレの再放送とのこと。
沢登りにしか関心が無く、ヒマラヤには関心薄かった学生時代当時の私は、失礼ながら白川氏のことは存じ上げなかった。白籏史郎は知っていたが。白籏氏が登山経験のある一方、白川氏にはその手の経歴はなかったはずだ。
卒業しても就職せずに登山に入れ込んでいた二十七の頃、山岳部員が集まって暮らしていた一軒家、通称「オバケ屋敷」には、隣のワンゲル部OBであるSG氏も同居していた。この方も卒業後に就職せず、登攀を強く指向する社会人山岳会に所属して登山に邁進する日々を送っていた。
こうした日々を送る中、当然ながら親からの仕送りは途絶えて「フリーター」として身銭を稼がなければならない必要があるのだが、当時の我々山関係のフリーターにはその手のアルバイトが割合舞い込んだもので、テレビ撮影の補助だとか、ツアーガイドのボッカバイトだとか、不景気風が吹く前の北海道だったので何某かの仕事はあって稼いでは登るを繰り返すことが叶った、今を思えば佳き時代だった。
で、件の白川義員氏のことだが、氏の事はSG氏から聞いて初めて認識したのだった。
拙宅にはブクオフで買った白川義員氏の「世界百名山」(愛蔵版ではない方)があり、それによれば南極大陸の最高峰、ヴィンソン・マシフには1992年に登頂した、とある。SG氏はこれの同行者として、またアルバイターとして(確か、成城大山岳部OBの方も一緒だったと聞いた覚えがある)働きながらにして登頂者にもなっている。
「嫌な奴でよ〜、我が儘ばっかだったぜ。」と裏話を聞いた。が、番組中では約束の時間に遅れたパキスタン人に対して歯噛みこそすれグジグジと文句を言う風にも罵倒する風にも見えなかった。日の出のタイミングで撮りたい絵があるというのに、選りによって肝心の朝に遅刻して機会を逃してしまったなんて、俺がカメラマンだったら怒り狂うだろう。
この方の写真は人物を一切介さないもので、肝は採光とアングルにある。朝日夕日のタイミングを逃さず採用して、登山者とは違った視点で山を写している。しかしこの色は??? 素晴らしい写真ばかりだが、中で一枚と言われたら、私は航空撮影ならではの【82】のキリマンジャロを選ぶ。【29】も【46】も捨て難いですが。皆さんはどれだろうか。
なお【1-48】の作品解説は本人が、【49-130】を中村進氏が担当している。因みに、中村氏は1988年5月5日にエベレスト山頂からテレビ中継したカメラマンで(日大)、チベットのクーラカンリ峰【110】で加藤慶信氏(明大)、有村哲史(早大)氏と共に雪崩で遭難死されている(2008年秋)。その【49】以降は流石に登山史を含んで意味のある解説となっている。
世界広しといえど、世界百名山をすべて登ったという奇特な御仁はよもやおるまい。
追記;昨晩、yoneyamaさんから借りている日本山岳会青年部が発行した「きりぎりす」19号を寝床で読んでいたら、クーラカンリで遭難死した有村哲史氏が編集者として現れて大いに驚いた。何たる偶然か。2007年の今時分に編集されていたタイミングに当たる。また、隊長だった高橋氏より送付頂いた「天帝の峰へ 日本クーラカンリ登山隊2008 報告書」を目にしたばかりでもあったので再度驚いた次第だ。加藤氏と並び、登山界の将来を嘱望された若い才能が失われたことを改めて残念に思う。
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