帰宅して風呂にへえって好物の銀河高原ビールを吞んでいると、NHKで「日本一の氷瀑に挑む」がタイミングよく放映されるという。主役とナレーターには、門田ギハード氏。舞台は北アルプス立山山中にある落差500m日本一の氷瀑、ハンノキ滝。
厳冬期はさしもの称名滝もあれくらい減水するのか。加えて彼の地の積雪量の多さが知れた。というのも、4段目の水柱ねじれ部分がすぐそばに見えた程だったので。
日中の疲れも手伝い、加えて濃い酒を呑みつつ観ていたこともあってウトウトしてしまう始末だった。想像と違って、視聴後の感想もどんよりとしたものになった。
個人的な思いとして、テレビ撮影・放映を前提とした『前代未聞の挑戦』である登山行為は、すでに本来の「登山」とは別の営為に成り下がっていると感じた。無線でのやり取りの下で「雪崩キタっ」だの「お疲れ〜」だの落ち口終了点にカメラマン(高柳傑氏)あっての『単独での完全登攀』には正直白けてしまった。
ただでさえ少ないチャンスをモノにするため、人生の貴重な時間を割き、自身の中で思いを発酵させて行為する門田ギハード氏(と、林智ユキ氏)だけの折角の「登山」が、台無しになっていると感じたのは私だけだろうか。勿体ないことだ、と。
積雪期初登者の藤巻・宮城ペア(2014.2)の感慨とはかなり違ったソレに思えた(1985.2の宮崎秀夫、新井利之(JMCC)試登もある)。また無雪期登攀者である成瀬・佐藤ペアや、富山の松本パーティー、初登の佐伯パーティー(1972)ともまた。
隣の称名廊下で行われた大西氏の孤独な登攀の記録はプロデューサー含め、読んだろうか?(近日発売予定のロクスノ誌にはその動機が書かれている)
登山行為の意味を問いがちな私としては、折角の番組なのだから「やった、撮った」で終わるのではなく、ギハード氏がこのスタート地点に立つ遠因となった(はずの)これまでのハンノキ滝登攀履歴くらいは並べて欲しかった。唐突に、このような冒険行為が立ち上がるわけではないのだから。確かにスゴイ、でもどう凄いのかを考えたい。
これを観た子供たちに夢と希望を与えられているならば、そんな行為者の思いが犠牲になったっていいぢゃないの。そう仰るならば、上記文はどーでもいい話になりますが。
テレビ報道というのは兎角「判りやすい物語」に嵌められる傾向があると思う。しかし、本来の出来事や人物像というのはそれほど単純ではない(ことが多い)と思う。視聴者側に予備知識基礎知識、回りくどい経緯や挫折などをすっ飛ばして伝えようとすると、折角の重厚な物語も平板で軽い話で通り過ぎて行ってしまう。限られた予算や日程で収めざるを得ない実情を理解した上で、予算の潤沢なNHKに対しては敢えて苦言を呈したい。
蛇足だが「称名滝」を「の」抜きの「しょうみょうだき」と呼称するのは調べた上でのことだろうか。こうして名称というのは変っていく。最近では一歩進んで?「称名ノ滝」という漢字まで見掛ける体たらくである。井ノ上? 秋篠ノ宮?
門ギハ氏の登山歴からのこの飛躍振りに、現代クライミングの世界の「ある意味の凄さ」を感じる。ある意味、竹のよう?
こんにちは。
わたしも昨晩同じやうな感想を持ちました。「いっちょうやってやるか」と、それほどの知識も経験も持っていない若者が、メディア受けをだけを狙った挑戦にしか見えませんでした。だから、最後まで観る気がしなくなって、チャンネルをコロナに変えてしまいました。
以上。
マースケ様
今晩は。近日発売予定の雑誌に因れば門田氏には初登者たちへの憧れがあった模様です。ただ、やはりテレビ放映を前提とした取材と思うとどうしても気の散る思いがします。真の単独行の肝は、孤独を乗り越えた先に見る「はかない光」だと思うのです。
新日本紀行的な番組作りをすればよかったかも?!
今日、山を歩きながらそのことを考えていました。NHKは森林組合と同じく、利潤の追求を目的としない事業体なのだから、と。その新日本紀行的な番組作りを目指すべきに思います。
最先端の尖んがり記録もいいけれど、山野井泰史氏の親父さんだとか、谷川太郎氏だとか、倉岡裕之氏だとか、和田さんだとかを記録しておいて欲しいものです。あとは誰が挙がろうか?
じゃー、暇あれば私も取材してもらうよーゆーといて下さい。あっ、受信料はろてへんかも。松原さんを新世代サンカとして取材してもらいませう!!
山窩!
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