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9/23日の毎日新聞から。仕事の昼休みに読んだ。
「音のかなたへ」という音楽エッセーを時折連載されている梅津時比古氏がインタビュイーとして紙面に出ていた。
題名は「校閲と音楽 意外な共通点」で、文中にこうある。
「校閲は間違いを直して当たり前、見逃したら責められる。でも直したこと自体は誰も気付かず、認められることもありません。」
作業中、これは私の仕事と同じだと思いつつチェーンソーを扱った。
「間伐は、劣勢木を伐って当たり前、見逃したら責められる。でも伐ったこと自体は誰も気付かず、認められることもありません。」ウィ〜〜ン!
音楽を編集し、完璧さを求めすぎて却ってつまらなくしてしまった経験も語られる。
また、紙の辞書を引く際”寄り道”にも意味がある、といいスマホ等での解答一直線にモノを申している。「無駄がないのは文化ではない。」と。では正解はどこに? 完璧さと寄り道の間にあるのか。求めないのがその正解か。求め方次第、求める人次第で正解という着地点が違うか。
この方、早稲田の第一文学部卒とあり、ん?と思えば3ページ後に登場の村上春樹氏と同じではないか。御歳も一つ二つ違いだ。
この度早稲田大学構内に開設された「村上春樹ライブラリー」には、氏の御宅とほぼ同じ音で聴ける「オーディオルーム」が設えてあるそうだ。いつか行列が途切れた頃合いにでも訪問して、ジャック・ウィルソンでも聴いてみたいものだ。
裏方の仕事、家事などお金にならない仕事、見えない仕事なども、解る人には分かるものです 林業(間伐、劣勢木、徒長枝などの管理だどな)は、社会にとってとても大切な仕事です
ありがとうございます。
そうですね、判る人には判る。見れば判る。
時に通じない相手を前にして徒労に感じることもありますが、私の周りには幾人かの”判る人”が居てくれることが判っている幸運を思います。そもそも求めちゃアカン、という意見もありそうですが。
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