そんな都市、京都。
今はどうだか知れないけれど、私が25年ほど前にアジア〜ヨーロッパ〜アメリカと地球を一周した際に携行したロンリープラネット社のガイド本にはこんな表現があった。
『旅行してこの国に辿り着いたあなたが、もしこの都市を訪れないとしたらそれは「日本に行って京都を訪問しないようなもの」である』と。たしかイランのイスファハーンの説明書きにあったか。
そんな都市、京都。
鯖街道もどきを踏破した後、三週前の京都訪問で果たせなかった欲を満たしに行った。
そう、絵を観に。
京都国立近代美術館は、私の知らぬ間にMoMAKなどと横文字呼称するようになって困ったものである。ただ、週末は20時までの開館時間でおまけに今回は常設展のみだったからか?入館料無料という気持ちの良いもてなしだった。
以前訪問してから随分と歳月が経ってしまった。前回は確か、私が未だ美濃の紙漉職人への希望の道を僅かながら残していた時期だったと思う。だから、結婚する前の2001,2年頃のことではないか。とするならば20年振りの再訪となる。その時、京の街に雪が舞っていたと記憶する。
今回は次回特別展への繋ぎの「令和3年度 第3回コレクション展」だったか、気合の入った展示という感は受けなかった。日本画の部屋には良い作品が掛かっていたが(池田洛中「公園」)、洋画にハッとする作品が見当たらず(印藤真楯の作品があった!)、前回の訪館時以上の印象は得られなかった。河井寛次郎も、定型からoutしようとする意図に同意するものの私の肌にはどうにも合わなかった。
雪の舞う京都、その際に観た梶原緋佐子の『唄へる女』が未だ忘れられない。
今回の展示にはなかったけれども、記憶の中にしっかりとある。
何故にこうもあの絵が私を惹き付けたのか。大判だったからか。
多分この、日本画の構図には珍しく生々しい表情の絵に、当時好いていた女、結婚する以前の今のオッカを重ねていたものと思う。
調べてもあまり出てこない絵だが、東京国立近代美術館で2021年3月23日から開催の「あやしい絵展」に展示されたそうだ。それを紹介する某氏のHPには、甲斐庄楠音の、かの有名な「横櫛」よりも印象に残ったとあったが同感だ。
京都。前回は晴明神社と広隆寺参拝が叶った。今回はズクもなく大徳寺にも詩仙堂にも「Jazz in ろくでなし」にも行けなかったが、それらはまた次回の機会に譲りたい。
大徳寺の床の間の掛け軸にはこうあるという。
「心は行動となり 行動は習癖を生む 習癖は品性を創り 品性は命運を決する」大徳寺和尚
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