で、9時過ぎに出掛けた。助手席に座った長男も高2で、身体が何時しか私よりも大きくなり窮屈そうに見えた。
私学に送り届け、私は柳ヶ瀬に引き返してロイヤル劇場へ。戦争モノだったので積極的に観賞しようとは思っていなかったのだがこれも流れだらう、「海軍特別少年兵(1972)」を。先週の「あゝ声なき友」と同じく、社会派の今井正監督作品。
貧困家庭や母子家庭といった一般家庭にはない事情を抱えた14歳の少年達が志願した海兵団で、指導役の教班長・地井武男が良い味を出していた(林・梅雀〜!;もしこれが梅雀氏の素の演技ではないというならば、家柄になく素晴らしい天性の演技力とお見受けした)。厳しくも、愛情あるそのスパルタン工藤上等兵曹と、上官であるが年若い東大卒エリート中尉:佐々木勝彦が壕の中で最期に交わす会話に、本映画の反戦の意思が込められていた。
「もう遅いのです。そう彼らにさせたのはわたしであり、あなたです。」
中尉役の佐々木勝彦を見て、不意に思い出したことがあった。
いや、先日の鯖街道もどきの山行時にその伏線があった。
大学時代を北海道で暮らした私を、岐阜に引き戻すきっかけをつくったHという男がいた(その佐々木勝彦に雰囲気の酷似した男)。同じ大学の同じ学部、同じく現役で入学し、高校こそ違うが同郷で、山系クラブの隣の山スキー部に属していたその男、引っ越しの際に山道具を幾らか置いて去った。手元に残った数少ないものの一つを、つい先日の山行で貰って初めて使った(20年置いてあった)のだった。何故だろう、軽量化の一環だったか「モンベルインナーシーツ」を初めて使ってみたのがつい先日の事、20年使わなかったものを。
「モンベルインナーシーツ」は冬山に活動の重点を置く山スキー部では必携アイテムの一つだったと記憶する(我が山岳部ではそうではなかった)。シュラフカバーの中のシュラフの中にインナーシーツを入れて寝たところ、確かに熟睡できた。
Hとは、紙漉きや沢登りという共通項?があったことからも、モノの価値感や指向、嗜好また、志向とあれ程同じ方を向いていたというのに、不思議と肌が合わなかった。ここに及んで繋がりを持ってもいない。
実生活に清貧な理想を掲げていたというのに、家庭事情からコロリと公務員試験を受けて合格した彼奴の能力の高さや変わり身の早さに嫉妬したのだろうか、私は。
私も50を過ぎ、二十年も前の話を蒸し返してどうこう言いたいわけでもない。ただ単に、近親憎悪というと語弊があるが「似た者同士で肌合わず」というのも世にはあるのだということを知った次第。
あれから二十年、互いに達者ならばもう、それでいいのだ。
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