日の出までの暗い中、雨の落ちてくるまでの時間に外の煙突部の補強と長さ調節をし、塗装の付いた新しいストーブを屋外で空焚きした(でないと、室内に塗装焼けの異臭付き白煙が充満する羽目になるため)。空焚きが済む頃を見計らうように冷たい雨が落ちてきた。日の出の底もようやく打った。
室内にて改めて着火、煙突が些か短いもののちゃんと「煙突効果」は発揮していた。排煙よろしく室内にケムリ臭さはない。
あとは柵を設置できれば完成となるも、ここには肝心の薪が無い。昨夏から準備しておくべきものだったが、私が出張ってやり方を伝えなかったのがいけなかった。まぁいい。
その足で今年初めてのロイヤル劇場へ。今年も宜しくお願いします。今年はデルスウザーラなぞ、掛けて欲しい。
三船の「風林火山(1969)」を観た。165分。
原作は井上靖のソレ。井上靖は毎日新聞所属だったか。
三船敏郎は、軍師山本勘助役で。武田信玄に萬屋錦之助、この人は何を演っても萬屋錦之介である。
佐久間良子が殊の外、美しい。
出家した信玄公曰く「坊主は頭が寒い。頭巾を呉れ。」に深〜く頷く。
ラストの、三船の●に矢が刺さった瞬間に、思わず声を上げてしまった。
余りの早起きに、暖房効いた165分の映画はキツイ。上映中、久方振りに寝入ってしまったが、外国を旅している際に揺られたバス移動中のソレと同様の深い快楽だった。起きたら佐久間良子が足袋で雪山を這っていた。
裕次郎は、ソコかよ!
風林火山といって私が思い出すのは、クーラカンリでの雪崩で亡くなった山梨出身の明治大学山岳部OB・加藤慶信氏である。氏は、ヒマラヤの山中で写真に納まる際に「風林火山」の手拭いを掲げるようにしていたという。同郷で同部出身の天野和明氏と収まっていた写真がある。【ともに、あの山頂へ 加藤慶信 遺稿・追悼集】
風林火山;疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山
伐倒のはやきこと風の如く、伐倒後のしずかなること林の如く?
何の偶然か、今週末に伐倒仕事で甲斐の国へ行くことが今朝決まった。先週通ったとはいえ、山梨県を目的の地とすることなんて滅多ない事なのに。呼ばれているのだろうか、晴信氏に。
高島屋で長女の誕生祝いを買って駐車場を出て見た腕時計は何の偶然か、1時11分11秒(11)を表示していた。本日、1月11日の。
その兵法から、いよいよ何処ぞに打って出るのでしょうか? 何かある方だとは以前からお見受けしておりました。この時期は頭、寒いですね。私なぞ帽子被って寝ております。
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