ある同僚は、作業で使用するチェーンソーや刈払い機の刃を昼の休憩時間に研ぐことを決してしない。休憩時間はあくまで飯と昼寝のための(自分の)時間であって、刃研ぎは仕事時間に収めればよいというわけだ。
私に大木の伐採を教えてくれた親方はかつてこんなことを言った。「昼休みに山で昼寝しとるような奴に、エエ仕事する奴はおらんで。」自分の時間を供出して初めて、技術が身に付き上達をみるという意味だと解釈した。また、空いた時間にやるべきことを自分で見つけられない人間は云々、とも。ITに頼りようもない山仕事を能率効率的にやろうと思う時、休憩時間にもやるべきことはいくらでもあり、そこがこの仕事の面白みでもあり、それは安全作業にも繋がっている。会社から対価を払われる時間を離れ、帰宅してからの時間を使って刃を研ぐ、調べて自分なりにカンコウ(工夫)する、研鑽することは、意味多いことに思われる。
また以前勤めた会社では、伐採に使用するヨキ(斧)は会社の経費で買って貰えた道具だった。しかし、それに違和感を感じた私は敢えてそれを受けず、親方に頼んで伐採の神様とまで呼ばれた地元の伐採名手から貰い受けてきたヨキを自腹で(言い値で)購入した。そのスピリットを受けて私が伐採の名手になり得たかは甚だ疑問であるが、大きな木でもビビることなくまずまず一通りは伐れるようになれたのは二人のお陰だらう。私にしかできない仕事が、ある。
その会社の、かつての同僚であるスミ氏は私が会社を離れて以降、5時きっかりに退社するようになったという。会社に預けた時間と”私”時間の線引きが8時/5時という訳だ。
ホセ・ムヒカ氏に言わせれば、野菜を買うという行為は、その野菜を育て収穫するまでに生産者が費やした決して少なからぬ時間に対する代価なのだ、と。
仕事の時間とわたくしの時間。仕事の時間を会社(や社会)のために価値ある時間として使用しないのは言わずもがな、自分の時間を敢えて供出しない限り、その人は限られた世界の限られた風景しか見られていないのだらう。
仕事時間にインターネットでサーフィンしているそんな時間があるならば「現代林業」でも読んでもうちっと勉強した方がイイヨ。少なくとも、小手先のパソコン林業など、止めておいた方がいい。
あ、わたくしの時間を家族(や猫たち)のために使うことを忘れがちなわたくしだった。
山に行けないものだから、ついついこんな鬱々とした文章を書いてシマッタ〜。いや、鬱勃たるパトスと言ふべきか。
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