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7/20には各務原市で某小中学校近くの草刈りをした。丘からは、15年ほど前に住んでいた県営団地が遠くに望まれた。始業時には登校する学生を、終業時には帰宅する子供たちとを見掛けた。
過去の私にとって、明日から夏休みが始まるのだという7/20は一年で一番心浮き立つ日だった。明日から夏休み、もう何をして遊ぶか決めていた。私にとっての登山は、その延長線上にある。自分で創る、夏休み。
そんな思いの中で、今の小中学生を見ると燥ぐわけでもなく淡々としたものである。コロナウィルス第七波で騒ぐな黙食だと教師が言うのであろう、気の毒なものである。子供らしい振る舞いすら禁じられる今の子供たちは将来、社会の規範たる立派な人間に成長するのだろう、か? 休憩していると、習い事の送迎とみえる母親たちの大きくて立派な箱型車が続々と駐車場に入ってきて、自転車ごと子供を車に放り込んで連れていく。塾行って、イイ高校イイ大学入ってイイ就職してイイ結婚?してイイ老後送る? そこに多少なり本人の意思が含まれていることを祈る。
今の長男と同年である、高校三年時の夏ことを思い出す。今盛んに言われる環境負荷を34年前当時から既に意識していた(であろう)私は、大学受験に向けてクーラーを掛けて勉強することに大いなる抵抗を感じていた。塾に通うこともなく、さりとて冷房効いた図書館まで出掛けて受験生を横目に勉強するわけでなし、あくまでマイペースで自宅の机に座っていたものだったが何しろ岐阜は当時から暑かった。暑くて集中力がどうのこうの以前の話で、勉強にならなかった。環境優先でその夏を過ごして過ごしてそもそもの計画の四分の一も終えられていないことに気付いたのが8月もあと数日で終わるという頃だった。悪い夢のようだった。随分と慌てた記憶が残る。
夏休みも、まだ7月の内の夏休みと8月に入ってしまったソレとは感じ方が違って「まだ一ヶ月もあるげぇ(岐阜弁)」と思える今時期の夏休みは最高だろ? 刺繡に燃えている次女よ。やることがあるというのは、いい。与えられるでなく、自分で創りだした仕事を持つことこそ、貴い。
ハスの花言葉は「離れゆく愛」または「清らかな心」、または「休養」「神聖」「雄弁」「沈着」「救済」、とのこと。
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