昨晩、偶々テレビで「鳥人間コンテスト」を観た。随分以前、強い関心を持って観たことを思い出した。ただ、私は鳥になりたかったわけではないことを確認した。番組中、10歳の少年を中心にして参加した関西のグループが失敗したシーンを見て涙が出た。そう、努力が報われるばかりが人生ではない。
映画で観たばかりの「太平洋ひとりぼっち」の原本を、ようやく読了した。borav64mさんが再読されたことも手伝って。
出だしから風に恵まれずまた、嵐にも遭遇して”ドブドブ言い”続ける件に親近感を覚える。金毘羅さんに賽銭を投げなかったことが却ってよかったと解釈する件も悪くない【P.145】。発って二週間で水が68リットルどころか18しか残っていないというのには慌てると思うのだが「エー、まぁいいや【P.151】」
予想通り、日記の羅列が中心で読み物として面白い本ではなく読み終えるのに時間が掛かった。ただ、行為自体の内容が”抜けて”いるので価値ある本、とはいえる。あと、長尾みのる氏のイラストが何とも言えぬ味わいでイイ。
何故面白くないか。単独で、動力を使わないヨットで危険を冒してまで太平洋を横断した『何故?』が説かれていないためと思われる。家族や所属グループに理解も了承もされることなく、心配や迷惑を掛けてまで行い為した理由こそを、私は知りたかった。「わたりたいから、わたったんですよ」では、意味も考えないで行う登山と同じだろう。渡る内に、その解が降りてくることを期待して読み進めたのだったが。
「僕の気持ちは、もうレーサーでやる競技を離れていた【P.20】」
天測に特段拘ることもなく、電波をキャッチしての方探(方向探知)で現在位置を(大まかに)確認することで良しとするのは、21世紀の今ほどには冒険への拘りのない時代なのだろう【P.165】。映画でもあったが、想像した通りに使用後のモノは海上にポイポイ捨てというのも時代だろう【P.168】。
そんな瑕疵を差っ引いたとしても、大いに認められるのが本冒険行の価値であり意味なのだと思う。
無許可、パスポート無しで渡ったら「何とかなるやろ」の無謀さ【P.113】。航海半ばで先の見通しも立たないというのに次の太平洋横断を考えているのがタフである【P.194】。
若くして達成した「小型ヨット単独無寄港太平洋横断航海」により、その後海洋冒険家として日本での新分野を拓き身を立てたことも大きい。
限られた予算で造船したアヤシゲな小舟で、嵐に翻弄されながら日射に炙られながら東へ東へと風に運ばれた先に表れた大都市は、果たしてサンフランシスコなのか!? 水産庁の船に乗って渡った先に現れた大都市は、果たしてリマなのか?と訝った覚えが蘇った。
「できっこない」「無茶だ、無謀だ」と窘められながらも、実際に成し遂げられてしまうや「俺にだってできる、できた」という腑抜け声は聞きたくない。「いったヤツがおらへんいうことは、できへんさかいやで【P.59】」この手のセリフをしたり顔で言う輩はホント、犬にでも食われてまえ。
大西良治氏にも何本かこの手の一見"無茶な"溯行があって、その(戻ってこれないかもしれないのに)思い切った判断を何故できたのか聞いてみたことがあったが、納得できる回答ではなかったのは氏が宇宙人だからではなく私が凡人だからだろう。きっと「俺なら何とかなるわな」という楽観が支配するのではと想像する。
他に折った頁の備忘。
95;「さるまた」80枚、履き捨て!
100;ビタミンC剤、たったの一瓶! 壊血病を心配しなかったのか?
209;アメリカの核実験を洋上で見ている。
215;最終行から始まる心の安らぎは、本航海のハイライトの一つだらう。
275;「目的地に着いた感触が、ゾクリッと肌を流れた。ウワアー! アメリカや! サンフランシスコや! ヤッタッタ!」 最後の「ヤッタッタ!」が格別である。
何のかんの言ってもやはり、エンジン動力なしでひとり太平洋横断を成したのは偉業である。
最後に、古本に挟んであった広告冊子の桃井かおりは、若い(昭和55年)。
そう、思わず見入ってしまいました。買ってヨカッタ!
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