これまで「岩と雪(ロクスノではない)」「山と渓谷」、1991年に休刊なった「クライミングジャーナル」「Coyote」に掲載された関連記事を編み直して構成されている。予想の通り、古い記事に関してはほとんど読んでいたものだった。今でこそ落ち着いた感じの山野井氏のコメントだが、読めば分かる通りに若かりし頃はかなりビックマウスな発言を連発していたもので、読んでいるコチラがヒヤヒヤするほどだった。P.48からはじまるC.J.のインタビュー(編集長の菊池敏之氏との対談と記憶する)、先ごろ亡くなった木下君の発言としか思えない。
それでもそのビッグマウスに見合った成果を上げているのだから評価も付いて廻ったのだろう。歳を食い、死ぬ寸前の危ない目に遭ってその発言も穏やかなものへと変化してく様が読み取れる。それにしても、よくぞ死なずここまで生き延びているなぁ。ギャチュンカンからの生還、熊の襲撃等々ありながら、生き延びているのがこの人の凄い点だと思う。P.201にこうある、「生きて帰ることが得意」と。
以下、折り目を付けた項。
64;フィッツロイの情報源に川澄隆明氏のものがあったとは! 私も随分以前に、東南アジア(パプアだったか?)の情報を提供頂いたことがある。
86;上段の、トラバースの写真は初めて見た。こ、これは。直上できる地点までの、7000mを越えた高所のトラバース、これはキツかったことと思われる。チョー・オユー南西壁新ルートソロは発表当時、ヒマラヤクライミングに疎い私にも凄い成果と感じられた。
163;「一日たりとも山が頭から離れることはない。ほとんど発狂していたのではないか。」
231;メスナーが言ってますよ。「新しいことをやるには、登山史を知らなければ」。ネットだけでは登山史は学べないと思う。
232;鈴木健造氏とは、是非組んで登って成果を上げて頂きたかった。
田中幹也氏による登攀年譜が巻末に付くが、丹沢は勘七ノ沢の滝をキスリングで登る写真が貴重〜。上高地から親不知までの、クライミングを交えた大縦走をサラリと載せるのだから嫌になる。赤沢山針峰フランケや、鹿島槍ヶ岳大冷沢ダイレクト尾根などという記録も。ガンガラシバナもキッチリと掲載アリ。秋間美江子氏がP.242に。
当本で一番印象に残ったのは、ヴォイテク・クルティカとの対談だった。
212;「今回はこの山をこう登ってみようかと、そこで自分と自然との調和をはかる。自分の創造性を発揮できれば、いつも私にとっては未踏峰があるということ。」
P.129の写真はどんな状況で撮ったのだろう?
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