日中、長女を岐阜の街中に送りがてら、先週末(例のキムタク騒動で)観損ねていた「風雲時 木村拓哉」もとい「風雲児 織田信長(1959)」の昼の回を観た。
岐阜での微笑ましいほどのキムタク騒動の最中、信長まつりに合わせたロイヤル劇場の粋な取り計らいのこの上映に気付いた人は、果たして如何ほど居たことだろうか?
伊藤英明も、キムタクをベトコンラーメンなんぞ食いに連れずにここはロイヤル劇場で信長鑑賞すべきだったろう。
主役信長役に、当時としてもキムタク以上の人気役者であったろう、萬屋錦之介。風貌こそ「怒髪天を衝く」を字で行く感じだったが、戦いの最中ですら激しい怒りの形相露わにする状況には陥っていなかった。
父信秀の葬儀の際のあの有名なエピソードに始まり、今川義元との「桶狭間の戦い」で4,000の軍勢が40,000の大軍を雷雨に乗じて打ち破る様を描いた映画だった、か。
濃姫に鼓をうたせて舞ったのが野生蘭の名にもある「敦盛」だそうで。濃姫役の香川京子、誰かにソックリだと思い返せば今朝見たばかりの次女の卒園アルバムに載っていた次女クラスメイトの●野ちとせちゃんだった!
昨11/8晩の天体ショウは実際のところ素晴らしかった。
昨晩のように皆既月食と惑星食が同時に起こることは珍しく、1580年の土星食以来442年振りだったとのこと。
織田信長【1534年6月23日 - 1582年6月21日】が46歳の時の出来事であり、ニュースでは信長も目にした現象だったのではと報じていた。土星食を視認していたとは到底思えないけれど、皆既月食で月が赤らむのを目にした信長はこれを不吉と観たか吉兆と観たか(将又、雨か曇りで観られなかったか)? 私自身、昨晩の皆既月食の赤銅色には思わず見入ってシマッタ。
次は2235年6月2日に皆既月食と天王星食が同時に起こるそうだが、月食中の惑星食を日本で見ることができる次の機会は、2344年7月26日(322年後!)の土星食のときだそうだ。374歳まで、ワタシャ生きられるだろうか? いや、生きられまいて。
キムタク騒ぎも皆既月食・天王星食も終わり、薪ストーブの煙突掃除も済んで、静かな秋の夜である。賑わしいのやイベント、苦手なんです。
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