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25の時、ユーラシア大陸を西へと移動した。あれを旅だという人が私の周りには多くいたが、私にとってそれは旅と言えるほどのものではなく、振り返っても単に移動というのが適切に思う。兎に角、ザザッと世界を見て回りたかった。
水産庁の補助調査員という役職で路銀を稼いだ上に、太平洋を海路で横断もした。その足で旅行に出た。
結果、地球を一周したわけだがその際に陸路で国境を越えたこと幾旅いや幾度もあった。中国〜ネパール〜インド〜パキスタン〜イラン〜トルコ〜グルジア、トルコ〜シリア〜イスラエル〜ヨルダン、そしてアメリカ合衆国〜メキシコ。
移動する国での途上、世界遺産確認、旨いものを食べ楽しいこと気の晴れること気の合う人間カワイ子チャンとの出会いといった心良い思い出がある反面、隣々国のビザも英語で取得手続きせねばならぬわ、カッパライや気に食わねえ奴面倒臭い奴、面倒事や嫌な目にも遭うことがあり、それが旅することの意味であり目的でもあった。何でもいいから経験というものを25の歳に積み重ねること。
ただ、その国の端にまで辿り着きイミグレーションでハンコを押されて陸路で国境を越えてしまうや、そんな一括りの思いを清算してしまえるすがすがしさは旅としての実感だったろうか。心を残そうが残すまいが、手を振ってサヨナラ、だ。旅したこの国で身の上に起こった出来事は今しも過去のものになろうとしている、次に向かう新たなる国で一体何を塗り重ねるのか、そういった全てがチャラになる”どうしようもなさ”が、当時の私の中で新鮮で好ましいものに映った。国境を越える度毎、新しい私になる、みたいな。
みたいな。
今の冬場の仕事もそう、一現場一現場を仕上げ(片付け)て、新しい身体と新たな気持ちで次の現場へと旅する如くに移動していく。国を変えるように。後腐れなく、心残さず。もう、どうしようもないのだ。
の、だ。
そんなどうしようもなさが、私がこの仕事を好む理由の一つなのだと思う。事務所のデスクに張り付きでパソコンのエクセルデータを睨むのは私の性に合わないのだった。今日も五尺台の、伐るに難しいヒノキを倒した。失敗して家屋にぶち当てなくてヨカッタ。取り返しがつかない世界。
30年近く経った今も、あのネパールからインドへの国境越えの際に観た、ヒンドスタン平原に沈む橙の夕陽が思い出される。
国情により、国境を越えざるを得ない人たちが世界には少なからず居ることを思う。そんな方々にはハート印の猫を送りたい。
また、過日発生した大地震で被災し亡くなられたトルコ、シリアの方々には深くお悔やみ申し上げる。何を送ればいいのか?
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