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今しも、さっぽろ雪まつりが開催されているとのこと。
1996年暮れから1999年暮れまで札幌の、それも中央区のすすきのまで歩いて十分ほどの街中の洋館に暮らしていた、ので、開催中のさっぽろ雪まつりへも歩いて観に出掛けられた、ものの、行ったことはなかった。当時は面はゆいというかこそばゆいというか、連れの女も居ないいい年の男がさっぽろ雪まつりなんぞに恥ずかしげもなく出掛ける、そんな勇気は当時も今も持ちあわせていなかった。今なら娘連れで出掛けられそうなものだが。
よって、さっぽろ雪まつりの思い出というものを、私は持ち合わせてはいない。
「さっぽろ雪まつり」が開催される二月の上旬というのは、登山に賭けていた当時の私にとって昨春に稼いだアルバイト代も尽きてくる頃で、フリーターと呼称された当時の私は懐が寒々しくなる時期だった。当時の当地には「頑張ろう北海道」のステッカーが飛行機やら街中にベタベタと張られるような不景気風吹く”サム〜い”雰囲気が漂っていた。思えばさっぽろ雪まつりというのも、活気ないこの時期を元気づける意味合いで発生した祭りでなかったかしらん。
当時は台湾での沢登りを終えてその年の登山活動を11月に終えるや今度は金を稼ぎに掛かる、それが師走に入ってからの事。アルバイト情報誌を買ってきては数少ない枠に応募し、面接を受け、不採用で、を繰り返すことグッタリと幾度かで3月の声を聞くころになってようやっと泊まり込みの国道白線引きバイトにありつくといった有様だった。この頃から社会承認を得ることの難しさを体感していたわけだ。承認欲求までは自覚できていなかったが。経験の無い方に比べたら、こういう空しい経験を持つ私の方がまだマシだと今なら思える。
今、フィリピンを拠点にした特殊詐欺事件が世間を賑わせている。その首謀者として、北海道出身で接点がすすきのにあったという渡辺容疑者らが新聞紙上を賑わせている。
この間、金を貸して以来考えていたことだが人間、金に困ると理性を無くし、文化的な暮らしを志すそんな余裕すら失いがちな単純な生き物だという思いだった。貧すれば鈍する。経験せずに済ませた裕福な方には、あの手の心の寒さは理解できまい。出口の見えないあの時期特有の閉塞した心が、彼らの胸にも巣食っていたのだらう。だから、すすきのの映像を見て、今回の事件の発端を見た気がした。状況が状況なら、また条件が揃いさえすれば私とてあのような流れに乗らなかったとも言えまい、と背筋の寒くなる思いがした。金、金、カネ、かね。
『時間が忘れられる仕事を探しなさい。
就職における最も危険な間違いは、好きかどうかでなく、有利かどうかで選んでしまうことです。
仕事というのは自らを高める修行である。実務の世界ではよく「現実的」という言葉を使うが、現実的とは「目的を達成しやすい」ことであって、「着手し易い」ではない。
組織に嫌われるのが嫌なようでは、大したことはできません。
安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。【フィリッピンの監獄にはある、と思ったか?】
職業は有利よりも「好き」で選ぶべきだ。秀才といわれた人ほど会社人間の人生になりやすいのは、有利な職業を選ぶから。
好きなことを見つけることこそ、人生で一番の仕事である。【命日2/8の堺屋太一の言葉】』
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