朝の番組に、東出昌大氏の狩猟山暮らしのレポートが映った。
タイミングよろしくcinexで山野井泰史氏の「人生クライマー」が上映されていたので休みがてら出掛けた。シネックスデーで1,000円だった。
どのプログラムのチケットかを受付嬢に問われて「じ、人生クライマー、を」と答えて鼻白んだ。だって「人生クライマー」ですよ。客は私を含めて4名を数えるのみ。
以前刊行された「CHRONICLE 山野井泰史 全記録」と重複部分が多くあるのは当然のことだったため、新鮮味はなかった。ただ、意外に甲高い声や登れないと荒げた声に、普通な一面も見えて微笑ましかった。古〜い映像も使われており、写真だけでは伝わらないリアルさがあった。南ア氷瀑でのフリーソロや、唐沢岳幕岩でのチリ雪崩の映像だとか。
亡くなってしまった方々が幾人も現れた。昨春の私の誕生日に伊豆で墜死した篠原氏や、南米で同行した野田氏(鹿島槍で)、共にチャムラン峰で亡くなった岐阜の今井健司氏や一村フミタカ氏等。
身近でこれほど見送りながら、死線を搔い潜って生き残った数少ないアルピニストで、チョーオユー南西壁新ルート単独アルパインスタイル、夫婦での壮絶なギャチュンカン北壁からの生還劇、そして再起をかけたポタラ峰での復活劇が素晴らしかった。
本映画で一番印象に残ったのは、妻・妙子氏とのさりげない遣り取りだったか。また、無い指で包む、餃子の皮に目が釘付けになった。
トール西壁やフィッツロイといった妙子氏以前の山行と、妙子氏がベースキャンプに居てのマカル―やメラピークの壁等その後の山行とではニュアンスの違ったソロ(単独行)だったことと想像する。個人対山に焦点を絞ったかに見えたこの映画も、詰まるところ人間の温かみ抜きにはソロアルピニズムも立ち得ないことを示していた、か。
山渓だかの雑誌で述懐されていたと記憶するが、マカル―西壁ではテレビクルーが同行したためソレを意識した図式の山行になってしまったと書かれていた。人の眼を気にした山登り。
今朝の東出氏も言っていた、テレビや雑誌記者が取り囲むうんざりするような日常から、誰一人私に無関心な野の暮らしへ。
「酔いどれクライマー永田東一郎物語」の永田氏も、山を競技の場、発表の場、スポーツの場として人の目を意識して活動したためにK7登頂後にはパッタリと山を止めてしまったのではなかったか、と。
『誰とも競わないことを憶えたとき、山は真に自分のものになる(yoneyama氏談)』 登山、極めて個人的な営みだ。
なのに〜 何故ぇ〜 歯を食ぅいしばり〜 君は行くのか〜 そんなにしてまで〜。
「人生クライマー」;膨大な山岳資料をひがな眺め、賭けるに値する対象の山を探し出すのに余念ない日々。他人の定めた価値「損だ得だ、有利だ不利だ」で判断するでなく”生きるため”に生きる山野井夫妻は、数少ない登山家、純粋な人間に違いない。私の周りで見渡してみても、そんな登山家はたったの三人しかいない。あの、クルティカと登山を共にしたなんてもう、言うことのない人生だろう。ワッショイ。
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