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2/19発行の毎日新聞にあった、『文化の森』欄に時折掲載される梅津時比古氏の「音のかなたへ」から。
「未熟ですから〜」に始まる「雨の音」と題された文章の、その最後部分がヨカッタ。
梅津氏はクラシック音楽(鑑賞?)に造形深い方で、本編もブラームスやシューベルト、シューマンの音楽から歌曲「雨の音」の詩を引いて以下のような文章を導いておられる。
『今、社会の背後に情報の溢れるネット社会がもうひとつ在り、仮想空間を含み二重になっている。芸術の諸分野、音楽においても、この二重性を生かし、輻輳した情報の下に新たな世界を開く天才は生まれてくるに違いない。
しかし、熟すとは、どれほどの情報社会になろうとも、情報量や生きている時間の多寡にかかわりなく、個人がいかに自分の内面に降りてゆくかにかかっているのではないだろうか。
夏の日の雨の思い出は、人の底の深い部分に降り注ぐ。』
次女と今朝見たテレビで、長澤まさみは日に6時間以上もスマホをイジる生活という。一日の四分の一の時間を!!! えっ?仕事、してないの? スマホで得られる情報は断片的にして体系だったものではないため、知恵にまで到達し難いと聞く。
私の従事する仕事は、危険にして過酷とあって内面に降りていくキッカケを多く呉れる生業である。これ以上の幸いはない。内面、浅いですが。
精神が肉体を使役して得た知恵を元手に、内面への梯子はより深く降ろされていくのだと思いたい。
【追】3/4の新聞に、ジャズミュージシャンのウェイン・ショーターの訃報記事が掲載されていた。遂に亡くなったか、ウェイン・翔太〜。彼も音楽を憑代(よりしろ)に、内面深くに降りて行けた稀有な音楽家だったと私は思う。雨の音を背景に、ショーターミュージックを聴きつつ、呑む雨の日曜午後。合掌。
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