|
|
|
雨も手伝い今日は外仕事も休みで、9時過ぎからBSで二度目と思しき「駅ピアノ・旭川編」を観た。
旭川駅は2011年に新駅舎として完成したそうで、私の知る旭川駅とは似ても似つかぬ小綺麗な駅舎へと変わっていた。
私にとっての旭川駅は四半世紀前の記憶として、大学山岳部で大雪山に向かう際の寝る場所であって、ピアノを聴ける場所にはなかった。夏にはサイクリストにとっても「ステ・ビバ(Station Bivouac)」の駅として認知されていたことと思う。
旭川の街には少々の思い出もある。
旭川は、人生フリーな28と29の年の春に、国道の白線引きのアルバイトで短期滞在した街である。国道237号線を主戦場として、除雪で冬季に消される中央白線(黄んない線は警察の所轄)を、引いて弾いて引きまくったもの今となっては懐かすい。幾寅! 旭川郊外の温泉施設での滞在中、今日のように外仕事ゆえに雨天中止だと街をぶらついて、ジャズのディスクを置くショップや山の本を置く古本屋、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館なんぞを観て歩いたものだった。今を時めく旭山動物園には何故か足を向けなかった。
別の地質調査アルバイトでは、駅近くの怪し〜い安宿に泊まったが、一泊二食付きで日本とは思えないほどの沖縄プライスだった覚えがある。
旭川は北海道第二の都市で大雪(山)がほど近いとあってピアノ番組では移住組が多く登場したのも印象に残った。住環境を巨大都市東京と比べたら比較にならないほど水準高いものだろう。その人が人生に何を求めるのかにも拠るだろうが。何にせよ、二番目っていうのは良いものです。
さて冒頭の駅ピアノだが、スナックオーナーも良かったけれど、母子で登場のショパン弾きの娘さんが強く印象に残った。アレを通りがかりに聴かされたらちょっと仰け反りそうな演奏だった。粗を捜せば色々と言えるものだろうが、この方がこれまで積み重ねてきた多くの喜びや悲しみが演奏から想像されて、聴いていて不思議と心打たれた。挫折を経て、二年前から演奏を再開した娘を前にしたその母の、淡々とした喜びの感情にもまた。それにしてもショパンってぇいうのは! ジャズがお好きという爺ちゃん保育士とは友達になりたい気がした。
番組後、長男長女を岐阜駅そばの学校に送った。その後、ロイヤル劇場へ中島貞夫監督作「狂った野獣(1976)」を観に向かったものの、時間が合わなかったので観ずに帰って来た。ゲキさんは中島貞夫の授業を受けたろうか。
帰宅して、その旭川で買ったオランダのLouis van Dijk trioを4枚ほど聴いた。ショパンとは対極の曲想である。
私はやはり、雨が降ると休みになる外仕事が好きだ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する