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ヤマレコで自転車による赤線引きはNGであることは承知の上である(プロフィールにもその点を言及している方はいる)。ただ、私の中では人力の範疇で赤線に入れている。
私にとって登山は、自由度の高く広い「土俵」である。個々人の発想次第で大きく大らかに遊ぶことが出来もするし、翼を羽ばたかせず発想を絞ると途端に堅苦しい箱庭遊びの世界に転じてしまう。グレーディングされたクライミングルートのリピート然り、手段ではなく目的化したクライミング然りキャンプ然り、思いを深めることなく手にする深田百名山然り。
昨年12月に再開した私の【チャリレコ】だが、京都奈良大阪兵庫、関東、静岡、和歌山、山陰と、岐阜から自転車を車に載っけてのあっちゃこっちゃの自転車行だった。
私が今も乗る自転車は、高校二年生時に北海道を旅してみたいと高校近くにあった「辻」と言う自転車屋に8万だか10万だかでテキト〜に組んで貰った代物である。1987年初夏と記憶するので早や37年前の購入品である。3月のパンクの際に、近所にある「アクタミサイクル」の天本英世似のオーナーに、内訳から出自まで全て教えてもらった。フレームは日本製でリムはフランス製、サドルはイタリアだったか? 流石はgaoro氏が付き合いのある自転車屋だけあって真に自転車通であり(ガオロ氏がHPに件の自転車屋を掲載していたことから、初めて赴いてみた)、ブレーキの利かない錆びた状態にして乗り続ける私を窘めるでもなく穏当に修理下さった。
中学生の頃から"ここではないどこか"へ行きたい、旅したいと思い続けていたのは何故だったろう? 関心高かった長良川繋がりで中二で読んだ野田知佑の「日本の川を旅する」にも大きな影響を受けた。親から離れた一個の独立した人間になりたいという欲求は強くあったはずだ。文字通りの「親離れ」がしたかったその結果として、北海道の大学を目指した。
「旅」そのものが何なのかも判らず、中学を卒業してまずやってみたのが徒歩旅行だったのだが、これは肌に合わなかった。スピード感が得られない上にヒトとすれ違いまくることに大きな抵抗を感じた。ヒトの目を気にした移動に大きな違和を感じた。当時は山を歩く方法も、いや山を歩くという発想自体無かった。
で、高校に上がって田淵義雄の「アウトドアライフ入門: 自然からのおくりもの」にあった自転車旅行に挑戦したのだが、その先に私の求めている何かがあるようには思えなかった。
で、大学に上がってカヌーの次に出会ったのが雪山であり沢登りでありの『登山』だった。何より自由な世界がそこにはあった。本を読んだりの我流ではとても到達できない領域に踏み込めたのはひとえに伝統を培ってきた大学山岳部で登山を学ぶことができたお陰だ。林業然り、伝統的に継承された知恵は大変尊いものだ。ネットでは得られない性質の、手応えのある遺産だと思う。
何が言いたいか。昨日山で出会ったいい歳した(失礼!)スズキさんが朗らかに自由に山で遊んでいる姿を見て、嬉しい思いがしたまで。
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