![]() |
![]() |
![]() |
記事にも掲載あったが「宮沢・レーン事件」で特高警察に連行され、終戦後に冤罪で釈放されたものの1947年に病死した宮沢弘幸氏に対して心痛め、事件が風化することのないよう北大副学長に構内にその史実を伝えるモニュマンの設置を直訴した。
以前買って読んだ、山野井泰史氏の父・山野井孝有氏の著書「いのち五分五分」で、孝有氏が「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」の代表として活動されていたのを思い出した。若き日の泰史氏がアメリカでのクライミング時に大怪我をして世話になった方が宮沢氏の娘、秋間美江子だった(当本は、誰かにあげてしまった)。その縁だったと思う。
豊田市の広済寺には、フォスコ氏の慰霊碑があるそうで遠からず墓参に伺いたい。何となれば、フォスコ氏によって伝えられたイグルー術の系譜に連なるyoneyama氏のイグルーで冬の日を凌いだことがあるので。
その碑には「争いのないメッセージを地球に贈ります」とあり、その上に『CITLUVIT』のイタリア語?が彫ってある。調べたが出てこなかったので明後日会うイタ通の藤原さんに聞こうかと思っていた。更に調べるとこの文字はフォスコ氏の造語で「月から地球にメッセージを伝えるために来た月界人」という意味とのこと。洒落てますね。
仕事を休んだ雨の午後、成瀬巳喜男監督作「放浪記(1962)」を観た。林芙美子が面食いで、あのように言いたい放題の女に育った訳を知りたい。辻潤をはじめとしたダダイスト達との交流あってのことだろうか? 原節子では随分と違った映画ができていたことと思う。怪優・伊藤雄之助登場の映画。
イタリアが昭和18年9月8日単独降伏してナチス支援のファシストと新政府の内戦になったとき、マライーニ一家は日本当局にどっちにするんだと問われ反ファシストを表明したため敵国人として、名古屋名東区にあった会社保養所を接収した在日外国人強制収容所で2年暮らしたのではないかな。ダーチャもこのとき辛酸を嘗めた。出版はギリギリのタイミングだ。
細かいですが、フォスコ氏が教鞭を取ったのはその後の京都大で、北大時代はたしかアイヌ民族学研究の留学生です。
ありがとうございます、修正しました。今週末は残念でした。私もいつか、スパッと登りに行きます。
ウチにもその「ヒマラヤの眞珠」、あります。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する