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以前から書庫にある「奥美濃 ヤブ山登山のすすめ」を久し振りに手にしたのは、先週の間伐施業地が神崎川奥のかつての仲越集落の、更に奥山だったことが作用してのことと思われる(冬型が決まって冷たい風の吹きすせぶ中で、場の悪い50年生ヒノキ山の間伐作業にホトホト苦労した数日だった)。
折に触れて読んできた、つもりだった。有名な項の「アルプス的登山への訣別」をこの度読み返して、実は全く読み込めていなかったことを知った。
この夏以降、いやここ近年自分の登山が思うように展開できないことに年相応の諦めと、それに対する悪あがきの気持ちが胸の内に巣食って、心の穏やかざるザワついた毎日が続いていた。日々の仕事は面白いんだから、と「酸っぱい葡萄」の狐ぢゃないんだから猶のこと気は晴れない。
で、同本同項P.14の6行目以降を読んだ際に目から鱗が落ちる思いがした。
いやぁ、本ってのはホント有難いものですね。高木泰夫先生に、感謝です。
年相応に技量力量も落ちた今、登れなかった山や沢を指折り数える。北アの柳又谷、嘉々堂谷、下又白谷、鉾ヶ岳・滝ノ内沢、白山・大畠谷、南アの大春木沢そして御嶽・赤川地獄谷。しかし、書き出してみると意外に心も落ち着くのは当本読みのお陰だろう。
来年から、気を入れて奥美濃にも通ってみようかしらん。
【追】当本は北海道から戻ってすぐ、岐阜の今はなき我楽多書房で購入したのが2000年と記憶する。引越しの際にか紛失してAmazonで再購入した(1円!)のが2015年春とメモ書きにある。高木センセはこの年1/22に85歳で肺ガンでお亡くなりとのこと(養老町)、合掌。
小生、今日老体(病体含む)に鞭打って奥美濃最奥の冠山に登って来ました。奥美濃の西半分がすべて見渡せて、あれも登った。この谷も登った。と、風の冷たい頂上でひとりコーヒーを淹れました。
山行記録は今日中にアップしておきます。
以上!
私も、来し方を振り返り見る歳の頃とようやく自覚した次第です。でも未だ出来ることはあると、計画だけは練る毎日ですよ。
高木さんの「奥美濃 序にかえて」に 「来し方を八重の白雲隔てつつ いとど山路のはるかなるかな」<和泉式部>があります。辛くて苦しいだけが「山」ではありませんネ。
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