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30になる前、10年も暮らした北海道にエエ加減見切りをつけて故郷に戻るキッカケを求めていたキライはあった。そんな折りも折り、同じ岐阜の田舎で学習塾の引き継ぎをしてくれないかと打診があって、それもいいかと軽いノリで札幌の部屋を引き払った。
同い年にして岐阜の隣の高校出身で北海道の同じ大学の、それも同じ系(学部)に現役合格し、クラスは隣、クラブも隣のリアル山系(私山岳部、彼奴山スキー部)という稀な縁だった。乗船実習でも同乗し、話せば将来は地元に根差した自然な暮らしを志向するところも似ている。
似ている。
にも関わらず、合わない。
それはきっと、処世の違いにあるのだろう。理想と実際の行動の相違に苛立ちを感じたのだ、私は。大学時代に学生運動に首を突っ込んでいたくせに、公務員になっちゃったクライマーの某氏のように。筋が通ってねえ。
それでも当時未婚の私と、結婚して家庭を持っていた彼奴との立場の違いによる、厳しい判断限られた選択だったのだと今にして判る。私など、やりたいことを好き放題出来た幸せな身分だった。その後、私も世帯を持ち子を成し、仕事に就いた。
この秋に、20年は会っていなかった当の本人から連絡がきた。一緒に沢に登らないか、と。この秋は何かと気分の乗らない時期だったので断りの返事をした。
が来年、水温む頃に一緒に登ってみるのも良いかと思うようになった。四半世紀近くが経ち、それぞれの身辺にどのような変化があり今、どんな心持ちで暮らしているのかを聞いてみてもいい。
上記文とは関係ないけれど、先週水曜頃の毎日新聞に掲載された、武田徹解説委員の言葉↓
『生活の安定を求める彼ら【政治から降りている層】は秩序を守るためには私権を制約する権威主義的体制をも許容する傾向があり、逆説的に政治的影響力を持つ可能性がある』
う〜ん、消極的政治参加というのか。いや”降りている”のだったか。
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