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内田修氏は「ドクタージャズ」とも呼ばれるジャズレコードコレクターであり、一ファンとしてまた医師として、日本ジャズの発展に一役も二役も買った立役者と言える方だ(った)。その証にコンサートを開催したり、才能ある若手がアルバムを制作できるように橋渡し役をした話も多くある。演奏者がレコード(やCD)を出す際に励ましや援助を惜しまなかったそうで、私が聴くきっかけとなった綾戸智恵、寺井尚子のデビュー盤にも絡んでいるそうだ。
パトロン、とまではいかないけれど国内ミュージシャンや来日ジャズメンの医師としてのサポートの機会も多くあった様で、展示にはその縁で宮沢昭やゲイリー・ピーコック、富樫雅彦使用の楽器がドカンと景気良く展示してあった。これら楽器から、あれら演奏が生まれたかと思うとそりゃ、感慨も深まるワイ。
定刻11時からの、本日のレコードコンサートで掛かった「The Barry Harris Sextet/Bull's Eye!」を聴いた。岡崎市の文化度、いと高し!
今回の訪問で私が一番嬉しく且つ驚いたのは、今のタイミングで視聴コーナーとラウンジにリタ・ライス特集を組んでいたことだった。世界に何千人と居るであろうジャズミュージシャンらの中で、選りによって私の訪問のタイミングで女性ボーカルの、それも私が一等好むボーカリストが特集されているなんて、、、、。ここ数日も、自宅で何枚もレコードをターンテーブルに載せて聴いたばかりで、凄い確率の話である。「生誕100周年」という括りの特集だったが、それにしても、、、、。世界の熱狂的リタライスファンなんて、高々100人といったところではないかしら(そんなに居ないと思う)。
私が旅行で地球を一周した1995-6年、当のリタ・ライスに逢えないかと彼女の母国オランダに立ち寄ろうと考えた程に、わたしはこのボーカリストには一方ならぬ好意を持っていた。70代前半だった当時も、彼女が盛んにCDを制作して現役で活躍している位の情報は得ていた。ただ、その頃の私は世界遺産だの移動の旅に些か疲れていたことや欧州の物価の高さからマドリッド〜リスボア〜パリからロンドンへ、ヒースローからジョン・F・ケネディ国際空港に飛んでゴールのメキシコに向かってしまったのだった。
内田氏も好みの歌手だったのだろう、エッと思う希少なレコードがズラズラズラリと陳列してあり壮観だった。私もかなり集めた方だが、完敗デス。「RITA REYS at the golden circle club,Stockholm」のオリジナル盤が二枚もあるのには思わず仰け反った。
これは私へのクリスマスプレゼントだったに違いない。クリスチャンでもない私にこんな良い思いをさせてくれて有難う、内田さん。竹島の神社にも詣でたし、実に良い年の瀬だ。
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