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鈍行で岐阜から倉敷まで三度乗り継ぎ、それぞれ一分待ちの連結の良さですら5時間20分かかった。出掛ける直前に知ったことだったが、私が一等観たいと思っていた日本近代洋画部門の「分館」が工事による長期休館中とあって、残念だった。そういえば29年前のロンドンでは、大英博物館で休館食らったのを思い出した。ナショナルギャラリーは開館してたから良かったけれど。
エル・グレコの「受胎告知」やマティス、モディリアニを観られたのには満足した。私は西洋画にそう”明るくない”のでまぁ良いとして、セガンティニやピカソは今回展示は無く観られなかった。エゴン・シーレはもとより所有していないのか。
その分館が休みでも、小出楢重や中村彝、松本俊介や目玉の熊谷守一「陽の死んだ日」を間近に目にすることができた。この人が居なかったら大原美術館そのものが無かったであろう、児島虎次郎の良さが理解できたことも収穫ではあった。残念なことに関根正二「信仰の悲しみ」は展示がなかった。
2000円という安からぬ入館料で、観覧時間は45分だったところをみるに、期待は大きく外れたのだと思う。
福富太郎展の時も思ったことだが、個人蒐集のコレクションとしては勿論優れている。優れている、のだけれど県立や国立の美術館と比べてしまうとどうしても一段落ちの感が拭えないのだ。系統立てたコレクションを目指したと福富太郎は語ったが、いかな潤沢な資金をもって蒐集しても個人的志向による「偏り」と分母と、空白とが目に付いてしまうのだ。それがここ大原美術館にも当たったのだと思う。
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