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雪の舞うこの季節だけに、もう少し情緒のある映画を鑑賞したかったが、「人は名のみの罪の深さよ」の副題に惹かれて出掛けた。
「博多っ子純情」のクレジットに光石研の名前を見つけた。昭和53年、に平成で見掛けた光石研が? 何となれば福岡県出身の光石氏のデビュー作だった。1978年キネマ旬報ベストテン第10位作品。まぁ、楽しんだ。
「嗚呼!! 花の応援団」は、どおくまんの原作ギャグ漫画の映画化作品で、こちらも1976年キネマ旬報ベストテン第7位作品という。とはいえ、客の入りは甚だ寂しくて、私を含めて7名。。漫画は、恵迪寮に転がっていたのを読んだ記憶があるような、ないような。「クェックェックェッ」「ちょんわちょんわ」「役者やのう」が懐かしい。というのも、大学水産学部講座先輩濱田さんが事あるごとにこの漫画の科白を引用して笑いを誘ったものだった。時代やのう。また、我々が共に世話になった山下講師は北水応援団の団旗持ちだったそうで、主人公・青田赤道バリのそんな写真を見せられて大ウケしたことがあった。
青田がキセルをカクカクさせる度に笑えた。
なお、両作品にはセクシー路線で伊佐山ひろ子氏が登場する。個人的に印象に残る役者だった。
上記「人は名のみの罪の深さよ」は、本映画監督・曽根中生の自伝の著書名である。1937年、群馬県生まれ。1962年、東北大学文学部美学美術史学科卒業、日活に入社。 鈴木清順らの助監督につく。監督デビューと時を同じくして日活はロマンポルノ路線に転じたために、曽根氏もポルノ作品を撮ることに。その後、商業的成功を収めたものの、起業した芸能学校がポシャって失踪、1990年ごろ消息不明となる。2011年の湯布院映画祭に現れて語ったところによると「商業目的化しそれに迎合せざるを得ない状況で出来上がった作品への自己嫌悪に耐え切れず、監督業をやめた」のだという。
監督引退後、大分県臼杵市内でヒラメ養殖事業に従事して燃料装置の特許を二つ取得したそうな。2014年、76歳で当地にて没。
人間、何を成して生きるか、ですね。合掌。
映画館には貴重な写真が飾られていた。【三枚目】
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