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時は流れて、青春時代に覚えた寮歌や校歌を一緒に風呂に入っている小学生娘と歌っていると、結構覚えてしまっています。明治45年度恵迪寮寮歌、「都ぞ弥生」は5番まで、大正9年櫻星会歌「瓔珞みがく」も5番まで憶えてしまっています。近頃は旧制松本中学の応援歌、「敵のヒョーロク玉」という歌がお気に入りです。天守閣?スコンクノーエ?意味不明か。
http://www.fukashi-alumni.org/archive/rooters.html
「寮歌ってさ、かっこいいよね」、なんて嬉しいこと言ってくれました。
この前、北大寮歌祭に行った際に現役学生の応援団員と話したら、小学生の時テレビで北大恵迪寮の雪中ジャンプ大会見て、これが青春だ!と思って北大応援団に入ったという頼もしい女学生とお話しました。現代社会にも、何万人に一人かは、弊衣破帽のバンカラ趣味の若い娘もいるものです。
昔、薬師丸ひろこがヒロインをしていた、ダウンタウンヒーローズという、旧制松山高校の映画(1988山田洋次監督)がありました。あれなんか、娘と見たい一本だなあ。いまは大正十二年度寮歌 「春雨に濡る」がかっこいいな。文語作文できる当時の学生の国語力に憧れます。
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mkuriki/phone/ryoka/list_ryoka.html
yoneyamaさん、こんにちわ。
けいてきりょう。。。漢字で書くと
恵迪寮になるわけですね。。
昔、北海道をふらふらしている時に、
そこにいけば、ただで泊まれるとか、
飯を食わせてもらえるなどという噂話に
つられて、行こうとした経験があります。
(結局行けなかったけど(´・ω・`))
お嬢さん、、頼もしいですね。
そのうち、北大の応援団に進むかも。。
最近は女性の応援団長なんてのもありみたいですし。
「スコンクノーエ」・・・・・解説して
もらわないと意味不明ですがな。。
調べてみたら毎回得点せよ。。という
野球の応援歌の一節のようですね。。
(合ってます?)
かたやまさんも北海道旅行者でしたか。泊まりにくればよかったのに。恵迪寮は無法地帯だったので、中にはふらりと来て何年も住んでいた人もいましたよ。
昨日は応援団の真似して腕を振り回して、五十っ肩痛めました。
スコンクノーエは意味不明です。調べるとわかるんですか?子供は。スカンクの屁、と小学生らしいダジャレを飛ばしています。
ちょうど札幌在住で旭川YHでヘルパーをやっていた方と
意気投合して、そちらのアパートに転がり込んでたので、
恵迪寮のほうへはいけませんでした。。
恵迪寮はかなり怪しくて魅力的との噂でしたが、
本当だったんですね(笑)
北海道にはなんだかんだで、
春夏秋冬あわせて9カ月くらいはいました。
ちょうど、その意味を調べた方のブログを
みつけたのですが、そこにはこの歌は野球の応援歌で、
敵のヒョーロク玉→敵ピッチャーのへろへろ球を
♪どえらくなぐ〜れ→がつんと打って
♪天守閣まで打ち上げろ→松本城の天守閣まで打ち上げろ
(当時のグランドは松本城近くにあったとのこと)
♪ソリャスコンクノーエー→
「スコンク」というのは、「0点で攻撃回を終えてしまうこと」、
つまり「1点も取らない回があること」という意味で、
『毎回得点しろよ』ということらしいです。
どうもこの方もOBみたいです。
真偽のほどは調べてみてくださいね。。
http://blog.livedoor.jp/m-84_36749/archives/50494344.html
歴史のある高校、大学って、いろいろな積み重ねがあるので、いいですね。。
「スコンク」を調べてみると、元は英語で
競技(や選挙)で相手を零敗(や大敗)させること。
▷ アメリカ skunk (原語は他動詞)。日本では、多く、零敗を指す。
ということのようです。
そんな歌詞解説があったのですか!意味も知らずに歌っていました。天守閣が出てくるから合戦の歌かと。確かに1920年代まで学校は松本城二の丸にありました。スコンク、山頂行けず山行に使える言葉ですね。
こりゃ、卒業生の人ですね。今でも春になると太鼓の音が響いてますよ。15歳の子供をセンパイたちが大人にするために。でも野球の応援に行った記憶は全くないなあ。応援練習の一週間が終わると、自由な学校になってしまうのです。
こんなサイトあるんですね。
朝から寮歌きいてみたら布団から出る気がなくなりましたよ
ちょうど私の母校の応援団の写真を入手したので
後で日記に貼ってみます。
応援団、ちょっと怖かったです〜。
高校の時は替え唄で、口伝えの春歌ってのがありました。
「北信女子高巡り」とか「○○○数え唄」とか
覚えきれないほど
布団でネットは、腰に悪いですよ。
あったかもしれない。でもウブだったから意味わからなかったかも。その歌のサイトはないのでしょうか??
私も北杜夫青春記でバンカラに憧れて恵迪寮に入った口なので(「憂行」って言葉がありましたっけ)、数年前偶然京都で当たった立命館と同志社のバンカラ応援合戦は大いに楽しみました。が、その際のわが娘の反応たるや、イマイチでした。育て方を間違ったか?
昭和61年寮歌の作曲者は山森氏ではないですか!
「憂行」とくれば、「鬱勃たるパトスを以て」です。
娘は普通、1万分の9千9百9十9人がバンカラ嫌いです。標準です。
僕も昭和60年度寮歌作りかけたのですが、途中でやめてしましました。山森は名を残して羨ましいですね。しかも作詞は原沢さんじゃないですか。
以前、よねやまさんに、相変わらず蛮カラしてますね〜と言われて初めて聞いた単語。調べました。『弊衣破帽で荒々しい行動を尊ぶ男子学生のこと。ただの学ランや外套を付けただけの姿はバンカラには含まれない。』あれ?私が?と思いましたが、そのあと、『正義感があり、皆に慕われる?』これまた意味が?わからず、そのまま、モヤモヤしてました。で、サクサクさんの日記の写真を見て、うちの父の学生時代と同じ服と高下駄でした。うちの父は応援団でも何でもない貧乏学生でした。で、服装は蛮カラですが、皆に慕われるとは反対で、全く喧嘩もしないのに怖がられて父が通るとザーッと皆が道をあけたようです。学校で一番勉強はできたようですが、番長でもないのに。口数が少なくへんコツな性格だったからです。これは蛮カラじゃないですよね。そんな父も学生の海洋実習中、インド洋沖で盲腸から腹膜炎になり死にそうになり、SOSを出したら、たまたま近くを日本の貿易船が居て、ドクトルマンボウみたいな産婦人科医がのっていて、裁ちバサミでその場で手術して一命とりとめました。仕事し始めてからも、船が座礁して近くの島の土人に助けられ、お礼に沈没する船の食料あげたら、代わりにミドリザルを6匹貰ったとか。それが。日本に初めてミドルザルがきたきっかけらしいです。こちらのストーリーのほうが、蛮カラらしいですよね。父は家族にこんな話しはせず、全て亡くなった祖母から叔母が聞いた話しです。今夜NHKで間宮の番組。祖父が最後の乗組員だったので楽しみにしてます
バンカラとは、弊衣破帽で心は錦です。見かけや素行は無茶苦茶でもよいのだ、という生き方です。
軍艦間宮、おじいさんも船乗りで、しかもこんな珍しい艦に載っていたんだ。間宮林蔵由来かな。
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