大物の予感漂う23歳女性メンバーの存在も輝いている。若手が続くチームってのが90年代っぽいです。
90年代までは、ヒマラヤと言えばガイドと行くものではありませんでした。山岳部なり山岳会のもんが、休みを最低一カ月や二カ月は工面して、自分で梱包、発送して、現地ではポーターに札束配って交渉してキャラバンしてベースで粘って・・・というのがヒマラヤ登山だったのですが、最近、そんな遠征隊の話をさっぱり聞きません。山野井さんや佐藤さんや花谷さんや横山さんや谷口さんたちのような凄腕壁クライマーはもちろん今もやっていますが、僕らのようなセミプロのアマチュアが出かけていくような話をとんと聞かなくなりました。以前に比べ匿名化、非組織化が進んでいるので、日本ヒマラヤ協会も2000年ごろから日本のヒマラヤ登山隊を把握しきれなくなり、もう年報でも網羅できなくなりました。
初登頂じゃなくたって、ピオレドールじゃなくたって、テレビ局が取材してくれなくたって、県民栄誉賞もらえなくたって、全然構わないじゃないですか。もっと手作りで、いつものやり方で、若者がヒマラヤ行けばいいのにな。
久しぶりに送ってもらった手作り報告書。これでいいのだ。
おはようございます。
うんこペーパーレス!凄いですね。
素晴らしい遠征だと思います。
以前はヒマラヤ遠征は手作りが当たり前でしたね。公募登山なんて無かったから。
おまけにお金も無いのでなんでも自分達でやりました。
荷物を船便で送るのに横浜の税関に行って、税官吏の前で緊張したことを思い出します(登山と関係ない物も梱包されていたんで)。
現地と交渉するのため、テレックス(死語)を打ちに国際電電(もう無い)に行って、穴の開いたロール紙を作成したのも思い出します。
大変だったけど、当時はそれが楽しかったりして。
僕もテレックス覚えてます。1987年でしたか。税官吏というのはどこの国も似たような人たちですね。いま、どのくらいの人が自作の海外遠征やるんだろう。
じつは今、後輩が極東ロシアの自作海外遠征を練っているのですが、ガイドツアーしかしらない相手国の旅行会社に、山登りは自作計画で行きたいんだ!ってことが分かってもらえず、かなり渋滞しています。
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