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きょうは安東最後の夜で、安東名物のチムタクという料理を食べた。このニワトリオブジェのアーケードのずらり右も左もチムタク屋。中でも評判の、混んでる一軒に直行。チムタクは、ニワトリとジャガイモと春雨などを辛いミソ味で加熱したもの。二人分だってのに直径40センチの皿に盛り切りだ。満腹。
食堂のテレビでは煙をあげるヨンピョンドのニュースが付きっぱなしだが、若者たちは落ち着いたもの。彼らも兵役前の年頃だ。何を思って見ているのか。連れの同世代韓国人によれば、北朝鮮との極地的な戦闘には慣れているという。空襲警戒訓練も毎月15日にやるんだそうだ。
韓国の山の木々が一様に見えて、歴史を感じない気がするのは、60年前の朝鮮戦争で国中が丸焼けになったせいかもしれない。それは大変な災禍で、日本の都市空襲の比では無かったと聞く。
そっくりだけど全然違う国、韓国。
図1/チムタク盛り切り
図2/チムタク食べるアベックと、奥のテレビに炎上するヨンピョンド
図3/安東チムタク街入門
本当に、韓国人は、北朝鮮がなにかしても、また?って感覚みたいですね。戦争よりも、自分の持ってる株価が下がる心配だって友人もゆってました。
一般の人は兵役がおわっても、35歳までは、何かあれが軍隊に戻るのが義務らしく、知人は、大学時代に軍の制度を受験し、大学を行きながら、軍の勉強も
し、大学卒業後は、幹部エリートになるシステム(日本の防衛大学みたいだけど、大学は釜山大学で一般人と同じように入学するようです。)だったので、40歳までは、戦争になれば、軍に戻るように義務付けされているとのことです。
そんな事が義務つけられていれば、日本人なら、今回のようなこと気になって仕事にもならないと思うけど、10年以上厳戒態勢なので、なれてしまったといってました。
本当に、心配です
う〜んなかなか、近くて遠い国と誰かが言ってましたが
お互いに影響しあいながら関係が続いて行くんでしょうね
補充兵役義務が30歳とか40歳とか聞くと、ああ、僕はもう前線ではお呼びじゃないのね、とちょっぴり寂しくなるのですが。
明治生まれの祖父は30歳ちょっとで大戦末期に連れて行かれ、河北を転々と、重荷で一日40キロ歩きの行軍の日々でした。輜重兵(しちょうへい)だったので補給部隊でしたが、遊撃隊にはしばしば襲われました。日本に残った家族6人、その間どうやって飯を食っていたのか?聞いておかなければわからないことが多いです。
米さん、暫らくぶりです。
私の母も、樺太の確か真岡?から何日も山越えして
運よく船に乗って親子6人内地にたどり着いたそうです
母親の兄弟集まれば何時もその話をしていました。
今は母も兄弟も亡くなりました。
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