その中で本・中川
http://honnakagawa.com/
で、月刊ドライブインというのを見つけてしまいました。
ドライブインとは、高速道路ができる前時代、国道を走るトラックが、休息、食事、宿泊するための、駐車場が広くて、定食、酒、雑貨(靴下やパンツやエロ本)が充実の、元祖人情コンビニとでも言いますか、二階には宿泊もできたモータリゼーション原型ドライバー天国といったものでした。
いまも高速道路の無い路線(たとえば塩尻〜木曽〜中津川)には現役で残っています。中央アルプスから木曾谷へ下山し、贔屓にしていたドライブインもかつてありましたが、やはり高齢化の波、消え行く運命です。
しかし1970年代文化が保存されていて、三角屋根だったり、レトロ看板だったり、板張りの床だったり、黒鉄パイプの椅子だったりと、とても懐かしい気持ちになるのです。コンビニ、ファミレスは嫌だけれど、ドライブインが開店していれば、ついつい寄ってしまします。
昔のドライブインのやり手のママは、娘の婿を、常連のトラック野郎の中から才覚ある男を選んでスカウトしていたなんてはなしも青森の元トラック野郎から聞きました。
この月刊ドライブインの発行者、橋本倫史氏もその魅力に惹かれ、全国のドライブインのご主人にインタビュウをし、その人生を記録にまとめているひとり出版社のルポルタージュ書きです。
http://hstm.hatenablog.com/entry/2017/09/08/094810
遣り手ママが娘婿(跡取)に菅原文太をスカウト、アジアっぽくて如何にも常識的でイイ話ですね。
如何にも常識的ですね。
現実は駄目な野郎と駆け落ち出戻りっていうのが人生というものですが。
嗚呼ドライブイン
田舎の道沿いにドライブインとはいかないまでもダサいレストラン→この言葉も昭和?な店とかありますね。あれが潰れずに平成の次の次くらいまで生き残っていたら、今の明治とか大正レトロな風情ある建築物になるかもしれません。ひなびた温泉も大正レトロはオサレなのに昭和になると部屋の作りや趣味がダサい感じだから、あと100年ほど待てばよいのかしらと。
時間の流れに残れるのは、建築がしっかりしているものなんです。戦前までの建物はプロがちゃんと時間を掛けて作って居ました。戦後のものは突貫のいい加減な建物が多くて、耐久時間が短いです。公共の建物でさえ安普請だから、個人商店の家など、100年は持たないと思います。消防署と保健所が寄ってたかって不許可にしますしね。だから滅びの美学と言うか、今のうちに通っておきましょう。昭和ドライブイン。ご主人なくなれば跡継ぎはいません。
30年ほど前、嫁さんと犬とキャンプ道具一式を赤いサニークーペに載せて北海道一周したとき、枝幸の北のドライブインに入った時、山の開拓へ帰るバス待ちと思しき母子連れが、「おいしいね」と言いあいながらラーメンを食べていたのを思い出します。少し昔の田舎では、ドライブインは街の香りのするハレの場だったと思います。その時食べたホタテの定食(大盛フライと刺身)、北海道の食材の凄さに感動しました。
あのドライブインは今もあるのだろうかと時々思います。
30年ほど前は、日本の変わり目でしたね。枝幸あたりではまだ開拓農家が最後の粘りを見せていました。僕も昭和のころ冬の北海道の山行で開拓農家の脇を山スキーで通り過ぎたものですが、その後訪ねたら尽く廃村離農していました。
その後高速道路網の発達で、北海道の食材なんか全国どこでも食べられるようになってしまいましたね。
ドライブインは、跡継ぎが居なければ滅びてしまいます。だから見つけるとフラリと入ってしまいますね。話するだけでも楽しいから。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する