![]() |
![]() |
![]() |
長野県飯田市の天竜川対岸、出身地の喬木村に記念館があります。1905年生まれ、日露戦勝、大正デモクラシー青春、戦中は壮年期の世代で、うちの祖父や深田久弥と同世代です。
よく教科書にあったと聞くのは「大造じいさんとガン」ですが、私は鷹匠の話でした。題が思い出せません・・。狐を鷹が捕まえる時、後ろ足の付け根の背骨のところをガキッとつかむ描写が忘れられず、今でもネコを捕まえるときにそれを思い出します。
数年前に読んだ椋鳩十の初作、「山窩調(さんかちょう)」は、今は失われた山岳漂流民、山窩の日常を小説にした、面白いものでした。彼の時代にはまだ最後の山窩が山をさすらって居たのだと思います。
記念館には、書斎にいたというトラ猫が日当たりよい猫ちぐらで館長を務めていました。彼がお嫁に行く娘のために書いた猫の話、「モモちゃんとあかね」はペルシア猫ですが、実際に家に居たのはトラだそうです。この記念館に来て住み着いたのは猫の方だそうです。
https://sippolife.jp/article/2016041500001.html
よねやまさん こんにちは
椋鳩十記念館へ行ってみたいです。
鷹のお話はもしかしたら「ああタカよ」?
違っていたらすみません。
このタイトルだけでもジンときます。
私が一番心に残っているのは「マヤの一生」です。
太平洋戦争時の飼い犬の行く末を
子どもたちにきちんと伝えてあります。
以前、小学校司書をしていました。
子どもたちは「動物もの」はよく手を伸ばしていましたから
古い本ですが今でも読まれています。
このような名作は最近出版される本に全くありません。
小学校司書、あこがれの職業ですね。
うーむ、その題名に聞き覚えが無いです。鷹匠と鷹が、宿敵の赤いきつねを仕留めるような話だったと思うのですが、鷹匠というものを知り初めし物語でした。
記念館には、マヤの一生、中国語やウルドゥー語の教科書に翻訳されているものが展示されていましたよ。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する