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●母の20代のときの写真たくさん。父母の結婚前のゴーハイ(合同ハイキング・男女数人で野山に出かける)昭和30年頃のモノクロ写真多数。美ヶ原、美鈴湖、鉢伏山、高ボッチの草原が多い。後ろの山並みを見ればどこの山だか僕にはわかる。お金なかったんだな。当時の日本の山はまだ燃料革命前だから山は薪炭の要あって、はげ山、草原が多いのだと思う。
●アグネス・チャンの下敷き(私の好きな草〜原〜)。
●フィンガー5、学園天国のシングルレコード。
●それに中学3年のときの郷土研究発表文集。
このガリ版刷り文集の内容は、クラスの48人が一人ずつ郷土の地歴にテーマを決め、2ページずつに纏めたもの。牛伏寺の歴史、筑摩神社の由来、松本城掘割の秘密、松本第五十連隊の最後、満蒙開拓団の行方、城下町の変遷・・・など、50過ぎて帰郷した今の僕がビシビシ興味持ちそうな郷土のテーマばかりで、しかもよく調べてあり(史料丸写しっぽい人もいますがそれでも)、読みふけってしまいました。15歳ってすごいんだなあ。とても感心。
問題の僕のテーマは、女鳥羽川の流路を石川数正親子が変えた件について図解入りで。「伏流水のない人工的に変えた区間(水汲橋〜桜橋間)は、夏は水が少なくなるので魚も知っていて住み着きません」と、結構よいことを書いています。「400年も前から人類は魚の住めない様な川を作っていたのです、少し寂しさを感じました」と、ほとんど今と違和感ない文体に自分自身で驚いています。この文集も調査学習も、全然記憶にありませんでした。
もうひとつ。飛騨白川の戦国時代にあったが大地震で全滅した山城、数奇な運命の帰雲城のことを数年前に知ったのですが、その城主一族が内ヶ島氏といい、同級生に居た珍しい姓の内ヶ島さんのことを思い出していました。
そうしたらその文集で正に、「私の先祖の話」、として内ヶ島さんが「帰雲城」の話を書いていて驚きました。あの幻の一族のぉ!やっぱり末裔だったのか!と。
yoneちゃん、元気そうやね
とても中坊の研究ではありませんね
こっちにいるより、数段歩いてますね、顔のツヤ、全然違うし
前から誰かに似てるって思ってましたが、清宮にてない
清宮って誰?皇族?と思ったら、ああ、野球坊主の。
なるほどー、似ている表情のときもあるね。なるほどねえ。
yoneyamaさん、こんにちは。
帰雲城…名前がかっこよくて調べたら…なんという悲運な滅亡を遂げた城なんでしょう。生き残った4名の子孫が同級生だったんでしょうね。
うちの地元も兄が中学生の時、郷土研究発表というのがあり、私はそれをやりたくて中学生になるのを楽しみにしていたのですが、モデル事業みたいなものだったらしく私が入学したらなくなってました;
わざわざお調べ、ありがとうございます。帰雲城と思われる場所の地形図を見ると、ものすごい地すべりの起きた地形です。機会あれば行ってみたいなあ。金塊伝説まであるので多少行く人もいるみたいですが。
中学生になるのが楽しみっていい話ですね。
私も家の片付け中に卒業文集が出てきたりして、片付けの手が往々にして止まります。
昨日発売今月号の岳人誌、yoneyamaさんズキュン物なので即買いのはずです。
何でもとってあるのがすごいです。それのおかげで苦労してもいますが。ありますよ。卒業文集も。表紙の版画は僕が刷りました。その原画までとってありました。いったいどうすりゃいいんだ。
お!戦国の山ですか!やっぱり信長・信玄のエリアですね。書店に行ってみますよ。このところ松本盆地周辺の城攻め山行シリーズです。紅葉の季節にはふさわしいですね。
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