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しかし、この医院の受け付け始め女性スタッフの対応の間合いや応答が完全にかみ合うというか、心地よいもので、やり取りのあとに不快感が一切湧いてきません。対話があまねく、相手を心地よくすることはあっても当惑させるようなことがありません。医師にもスタッフにも自信と余裕があるせいだろうか。
25人待ちの残り5人になったら携帯に電話くれるとのことなので温泉街裏路地を隅々まで自転車で回ることにしました。
裏山の天保年間水野氏時代に建立の天満宮、それに慶長〜元和年間の松本城主小笠原貞慶、秀政、忠脩の墓がなぜかここにありました。遊歩道にはスミレとヤマブキが美しく咲いていました。かなり寂れた温泉街最上部の内湯(近所の人たちしか入れないプライベート風呂)を見るだけで巡って、かろうじて営業していた手作りあんこのモナカ屋のばあさんと長話して、坂を下ったらお知らせ電話有り。
聴力検査の女性看護師がまた、いい感じの人でした。センセイとの相談で、薬を換えてステロイドっていうのを飲んでみることになりました。
サビれた温泉街だけど、建武年間(14世紀)の由緒や、江戸時代の奥座敷の名残、明治の庶民の観光地としての歴史など、立て札めぐりだけでもおもしろい。満州国皇帝溥儀の従兄弟の川島芳子が戦前、松本高等女学校に通ったという川島家屋敷跡地の立て札も発見。ちょうど先月、銃殺されて70年のお参りの記事を読んでいました。
川島芳子は川島浪速の養女で、浪速は松本藩士の子であることと関係があるようですね。
「川島芳子獄中記」という渋い絵表紙の古本の復刻普及版を最近手にしましたよ。大陸浪人川島浪速さんの30代〜40代の義和団事件、辛亥革命にかけての人生はタイヘン躍動の時期だったのではと思います。幕末の藩士生まれの世代は「戦前」の日本といってもこりゃまったく違いますね。
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