http://www.genkouji.jp/about/banryu.html
先日、長野県茅野市郊外の上古田という集落をたまたま訪れた時、公民館前で立て札を読んでいたらなんとなんと、甲斐駒ケ岳を開山した小尾権三郎(おび・ごんざぶろう)はこの集落の出身で、数年前200年記念祭をやったところだとか。公民館にいたおじさんに話しかけたら今もここは小尾さんだらけで、おじさんも小尾さんでした。1816年、21歳。ナポレオン戦争、ウイーン会議のすぐ後。
http://www.nagano-np.co.jp/articles/31460
信仰登山は近代登山とは別、と子供の頃から思い込んでいたけれど、大人になるに連れ、登山愛好家の心の芯の部分は全く変わらないと思うに至った。欧州でフランス革命1789前後からアルピニズムが芽生えたのは啓蒙思想との関連があるとは思われる。けれどそれは欧州の事情であって、日本の開山熱(つまり修験道者だけではなく一般に開く、山の民主化)は思想史と関係なく、やはり同時期からなのだなあ。覚明上人の木曽御嶽山は1785年、モンブラン1787とほぼ同じだ。東西ほぼ同時期に、人はなぜ登山愛好をはじめたのだろうか。ウェストンは来なくても山は登っていたんです。
同行の若い人は、「山は信仰の対象なのですか?」と聞いた。毎日山を見る暮らしとも、毎日祈りをささげる暮らしともあまりに遠き、今の世なのである。
小尾権三郎の里には、八ヶ岳赤岳鉱泉や行者小屋を源流とする柳川が流れ、丘陵の先に、八ヶ岳がババーンと見えた。こじんまりした、良い里だった。金メダルの小平奈緒の故郷のすぐ近くでした。権三郎を祀った威力不動堂の200周年記念誌をいただいた。
若いころは、アルピニズムの対象として登られた欧州の山と違って、日本の山の多くが信仰の対象として登られたのが抹香臭くて格好悪いと思っていましたが、歳を取ると文化の違いに過ぎないし、宗教を基盤とした登山という行為も興味深いと思えるようになりました。
それに、槍を開山した播隆上人にしろ、劔に錫杖を置いた修験者も、大義名分は宗教的なものであるけれど、根っこの部分は『あの山の頂に立ちたい』という普通の登山者が持つ気持ちと同じだったのではないかと思っています。
そうなんですよ。今宗教は特別なものに思えますが、当時の宗教は飯食う、息する、お買い物する、など日常の行動の隅々に行き渡っていた空気のようなものであることを知れば、むしろ自然な動機であって、抹香臭さこそ偏見だったとおもうようになりました。芯の部分の情熱は全く変わらないんですよね。むしろ無垢の天然の山の探検はどれほど面白いものだったかということばかりが、羨ましくてたまりません。
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