●一年前にバレエ留学していた娘が慢性膝蓋靭帯炎症で稽古を断念して5月に失意の帰国。3ヶ月様子見てもやはり治らず、松本の高校への復学を決めた。猛稽古してもケガをしないというのは限られた一流選手にのみある素質なのだった。元より狭き門であり、と周りは納得するが、それは口にせず本人の納得をじっと待った。
●復学のあいさつになつかしき高校へ行くと、一年スベってこんどの担任が、大好きな数学の先生になって喜んでいた。生徒に何か教えてやろうという気概は隠し、自らの探求する姿勢を以て生徒に憧れられるタイプの先生だった。こういう師こそ、師なのだよね。
●娘を92歳ジジババのいる松本実家の空き部屋に間借りさせる。食べ物は、もうできるしやっぱ違うので自炊する。近所のセコハン屋で9800圓の冷蔵庫を見つけ、軽自動車の後ろに斜めに入れてうんこらせと運んで二階に据えた。麦茶冷やした。実家に置いといた勉強机や書棚を突貫で設置してやる。整った。きょうは旧友と再会してトーキン・アラッしている頃。楽しいだろうな。
●実家の周りの伸び放題の生け垣というか生えている木々の、道路はみ出し分をはしごに乗ってバッサバサッサと刈り込んで、山程の枝を裏庭に運ぶ。あぁ焚き火してぇ!幅3mしかない城下町生活道路で、ご近所さんがでかいクルマで通るたび枝先がコスりそうな迷惑状態。熱中症になりそう。ネズミサシのヤブにスズメバチの巣直径20センチがあり、ウッカリ揺すってブンブンに取り囲まれた。あやうくやられるところだった。ヒィ〜すみませんと言って全速で駆けて逃げたら、逃げ切れた。なので中止。90歳にはこんなことできないワ。雷がどんがらなりだした。夕立でまた涼しくなる。
●ふたりともあと10年は生き延びそうなので、近所の空き売地を不動産屋に問い合わせていろいろ聞いてみた。本当は古い民家を安く買って改造したくて一目惚れの物件もあったのだけど、「冬に寒い家は駄目」な妻がいるので頓挫、そんなら新築しか無いじゃんと思って。まあ好きな家を設計するのも楽しそうだなんて思ったが、ジジが、「あと10年でふたりとも死ぬから待ってろ。土地なんか買うと売るとき困るぞ、無駄な金使わずに株でも買って増やしとけ。」家賃10万圓✕10年で1200万圓かあ。やっぱり土地+新築なら小さくても3000万圓はかかるからなあ。低金利&税制優遇とは言ってもなあ。やめとくか〜。来年転勤できたら、また63000圓の借家探すかな〜という気分に。危ない危ない、うっかり新築住宅なんか作ろうかってところだった。でも家作るって夢があるよね〜。
●高校の先輩オクハラさん、親しくしていた妻のおばさんトシコさんの訃報と、春に最後に訪ねた、以前名古屋時代にとても世話になった山岳部先輩の夫人エリザベスさんの訃報をほぼ同時にきいた。人の最期は予兆はあるけど、死は本人が受け止めるもの、そして誰もが自分の死を受け止めるもの。センパイたちの最期を見て、自分の人生も考える。お世話になった思い出を時々手繰り寄せて。
写真:実家の二階からは、常念岳、乗鞍岳、木曽駒ヶ岳、美ヶ原が見えるけど、夏の午後は霞むので、見えているのは経ヶ岳と霧訪山までかな。塩尻峠に夏雲。美ヶ原方面に雷雲。
若いころなら自分で工作もしたかもしれませんが、今は無理と考え薪ストーブもやめ廊下以外すべて床暖房です。今の家は断熱効果が凄く冬温かく夏は涼しいです。30坪一寸の平屋に大きめの車庫兼倉庫を作って土地込みで35,000,000円でした。松本ではもっとかかるでしょうが、20畳のリビングで寛げてよかったと思います。周りの農家と比べるとかなりの安普請ですが、期待余命20年住むだけなので十分だと思います。
余命の勘定が確定不能なのが人生面白いですよね。私ももう少し読解力ふやしてからにします。後になるほど家は小さくて済むかな。最近の断熱はホント凄い。でも僕には寂しい。寒い家が大好き。妻には厳しい。
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