90歳前後の両親と話すと、以前とは違う呼吸がある。耳が遠かったり、同じ話を繰り返したりもあるが、情報の半分くらいしか伝わらなかったという経験は多い。全くさっきと話が違うというようなことも。
社会通念の違いが大きく出ることも多い。こちらでさえ、この20年ほどの社会の変化は要注意に感じているほどだ。まして戦時に中等教育を受け、マチズモ社会かつ「単一日本人」社会しか知らない人生に、今のジェンダー観や時代的レイシズムは心の底からは変わらない。場を楽しませるつもりのジョークもスベっているものも多い。だが語りはほぼ固定化している。以前は思っていても口に出さなかったことも平気で言う。諭したりは無意味だとわかってはいるが辛い。
親戚の老人たちも次々施設に入り、交流も絶えがちで自分の暮らしに精一杯で遣り取りをする気力ももうあまりないようだ。痴呆のせいか長々電話してきて辟易したり、性格が変わってしまったと絶交したりという人の話もきいた。
訪問者はほとんどいない。近所の旧知はほとんど寝たきりか亡くなり、訪ねてくるのはお金目当ての怪しい人か食料宅配だけだ。
耳も目も衰え、生活空間の汚れや不具合もあまり気が付かない。治したり片付けたりするのも余計なお世話のようだ。近所の旧宅では、次世代がすっかり家を新しくしたら、寝込んでしまって一気に衰えたときいた。
だが、傍でみているほど当人たちは悲壮ではないようにも思える。「30数年後にはおまえも必ずこのようになるのだぞ」ということを先達として見せてくれているのだ。30年なんて、ついこの前のことだった・・、と思ってしまうのである。
* * *
11日、海外遡行同人の会で20年ほどまえから付き合いのあった10年下の木下徳彦さんが、沢で死んでしまった。精力に溢れ、実務もでき、渓谷登攀というややニッチな世界で、若手の集まる場を作ってきた得難い存在だった。来年の野望もきいたところだった。一瞬前まで、本人も、周囲も、全く予想の無かった死だと思う。あらゆるリスクを日頃から想定してその上で大胆さとの天秤で、行動する。それこそが生きる楽しみとしての山登りだ。
死は待っていてもやって来ないし、いつ来るかは全くわからない。それは戦国時代も今も、実は変わらないのではないか。どのように死にたいかという問いに意味はなく、最期の一日になるかもしれない日をどのように生きるかを考えていたい。
老境というのはやはりなってみなくてはわからず、なるまでは想像でしかなく、なってやはりこうであったかという感じではないかと思います。
私達夫婦も昨年、長く介護を続けたお互いの両親を全て見送りました。おっしゃる通り晩年は意思疎通も不確かになりコロナ禍でもありスキンシップもまま成らない見送りになりましたが、私達がすべき事は出来たのでは無いかと自身を今は納得させています。何事も明日は我が身と身につまされます。
丁度、お盆の時期ですのでコメントさせていただきました。
お盆ですね。今年は殊更、死別が多いです。死者はたくさん思い出してやるのが一番の供養だと思います。
「老い」と「死」は、お釈迦様(ゴーダマ・シッダールタ)が、2500年も前に喝破されているように、人間 誰にもやってくる宿命ですし、対策や答えがないものですよね
私の高齢の両親(共に90台)も、帰省するたびに身体が弱っていっているを見ると、色々と考えてしまいます。
親自身はちょっと達観している風でもあるし、考え方が古いのもしょうがないのであまり干渉はしませんが、、、
私も還暦を過ぎてから、「老い」を体感しています。
死については、私自身、病気で死にかけたことがあるし、山で遭難して死にかけた経験もあるので、あまり怖いという感じがないです。
・・というか、「メメント・モリ」という言葉を、頭の隅っこに置いてあります。
登山愛好家なので、死そのものは怖いとかそういうものではなく、忘れないようにしなくてはと思うものです。しかし、若くてやることがたくさんあった後輩の死を知るというのは。
私は何をしているのだ?という気持ちになります。
11日〜15日まで森吉にいましたが、雨で沢中止でキャンプしていました
里に降りて、木下さんの訃報しりました。
ご冥福をお祈りします
雨の中、長期で登ってますね。沢は一瞬先に何があるのか、結局のところわからないものですね。
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