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柿はりんご、みかんにならぶ日本三大くだものだと思うのですが、年中食べられるよう品種改良と流通が発達したりんごみかんに比べ、柿は素人の庭でも簡単に実るし、季節限定だし、なんだかマイナーで、昔ながらという気がします。庭になるものだから売り物だと思ったこともなく、買う人がいるのか、と知ったときや、南信や三河には柿農家があるのを知ったときは意外に思いました。
日本では北海道だけ柿が育たない。長く北海道に居たときは、帰省して黒い屋根瓦とオレンジ色の柿の実を見ると、ああ帰ってきたなあという気持ちになりました。中国原産らしいけど日本ほど出回っていないのか、広すぎる中国でたまたま私の訪れ先には無かったのか。欧米ではあまり聞かない。persimmonという単語はあるけど、元は別のフルーツの名らしい。
渋柿はヘタの枝をT字に切って、ヘタをとらぬようよけいな葉を、短く持ったスプーンと親指で根本からねじりとり、その周囲の皮も同じくスプーンで取り除くと、出来上がりが美しい。ナイフで何百個も皮を剥いて吊るす。雨に濡らすとカビが生えるから気をつける。
結構高価な市販の干し柿は白い糖の粉を吹いた乾燥したものが多いですが、干し柿を自作すると、半分乾いた、半生のものが食べられ、ウチでは最後まで乾かさずにこの段階で食べ、食べきれない分はそのまま冷凍にして長期間少しずつ食べます。凍ったまま切れるのでスライスしてヨーグルトに入れたり。ジャムのように使えます。
なぜうちにこんな柿の巨木があるのか?昭和ひと桁生まれの父は、子供の頃戦争で飢えていたので、昭和37年に自宅を持ったとき、庭に実のなる木を植えました。梅、栗、甘柿、渋柿。その後はいちじくにびわ。本人の言は前から聞いていたけど、最近物件探しで市内のにたような世代の残した中古住宅を何軒も見て回っていたら、どこの家にも柿と梅が植えてあって深く納得が行きました。あの世代の持つ戦争の後遺症だったんだ。食べるものがない子供の苦しみは長期間忘れられていて、いま人は、のんきに柿の木を見上げる。
うちには梅干しと干し柿は年中切らさずあります。シーズンになるとちょっと忙しいけど食べ物を保有する満足はなかなかのものです。
秋になると父が木に登って段ボールにいっぱい取って来て、
でも鳥のために少し残しておく、って事を教わりました。
柔らかく熟していたのでたまにボトボト落ちて来て、つぶれてました。
皮は母が漬物に使ったりもしていた様です。
25年ほど前に隣の部屋にアメリカ人(男性)が引っ越して来たのですが、大変なロマンチストで、
「日本の古い家屋の庭には柿の木があって秋になると実を付けている風景が美しくて詩を書いてみた。」
という様な事を言って自作の詩(英語)を読んでくれたことがあり、
アメリカ人でもこういう風情を感じるのね、と当時若かった私は驚きました。
今はその彼の心がわかります。
アメリカ人、日本を満喫しているね。自作の詩を朗読するなんてやってみたい。
小学生の時柿の実つけた木と屋根瓦と白い常念岳の絵を描いたのを今思い出しました。
既に鳥に突かれていたのが三つばかりあって、プレゼントしました。
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